建国記念の日(2月11日)
2月11日は「建国記念の日」ですが、実際には日本の建国日は明確ではありません。日本神話によれば初代天皇の神武天皇が即位したのが紀元前660年1月1日(グレゴリオ暦では紀元前660年2月11日)とされています。
もともと2月11日は戦前は「紀元節」という祝日でした。戦後の祝日の法案には「紀元節」が「建国の日」として組み入れられていまいたがGHQの意向により削除されました。これによって日本の建国の日の祝日はなくなりましたが、サンフランシスコ講和条約が調印された昭和26年(1951年)あたりから「建国記念日」を制定する動きが見られるようになりました。
昭和32年(1957年)に初めて法案が提出されましたが、衆議院では可決したものの参議院で審議未了となり廃案となりました。その後、法案の提出と廃案が繰り返されながら、「建国記念日」を制定する方向へと向かいましたが、「建国記念日」の日付については様々な提案がありまとまりませんでした。
そこで、日付の決定については有識者による「建国記念日審議会」に諮問することとし、また「建国記念日」に「の」を挿入して「建国記念の日」とすることによって建国されたこと自体を記念する日と解釈できるようにしました。これによって、昭和41年(1966年)6月に「建国記念の日」を定める改正案が可決されました。同年12月に「建国記念日審議会」が「建国記念の日」は2月11日とする答申を提出すると「建国記念の日」は2月11日と定められました。
さて、日本神話によれば、天地開闢(てんちかいびゃく)によって高天原(たかまがはら)に5柱の別天津神(ことあまつかみ)、12柱の神世七代(かみのよななよ)の神々が現れ、最後にイザナギとイザナミが生まれます。神々が高天原から下界を見下ろすと、下界は混沌と漂っていました。別天津神はイザナギとイザナミに天沼矛(あめのぬぼこ)を与えて国造りをするように命じました。イザナギとイザナミは、高天原から地上へとつながる天浮橋(あまのうきはし)の上に立って、天沼矛で下界をかきまぜました。このとき、天沼矛から滴り落ちたものが積もり積もって、淤能碁呂島(おのごろじま)となりました。この淤能碁呂島を足掛かりに、イザナギとイザナミは国生みと進めると、大八島(おおやしま)、すなわち日本列島を構成する島々が生み出されました。国生みがいつ頃のことなのかはわかりませんが、神武天皇が即位するよりもはるか昔の出来事であったことは確かです。長い時間をかけて国家が成立したことは間違いありません。
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