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2021年2月15日 (月)

美しく青きドナウの初演日(1867年2月15日)|ドナウ川とは無関係だった

 「美しき青きドナウ(An der schönen, blauen Donau)」はヨハン・シュトラウス2世が1876年に作曲したウインナ・ワルツです。

ヨハン・シュトラウス2世
ヨハン・シュトラウス2世

 1865年、ウィーン男声合唱団はシュトラウス2世に合唱曲の作曲を依頼しました。シュトラウス2世は合唱用ワルツを作曲したことはありませんでしたが、1867年に無伴奏の四部合唱の未完成の状態の曲を合唱団に送りました。その後、ピアノ伴奏部が遅れて送られてきました。

 さっそくアマチュアの詩人ヨーゼフ・ヴァイルによって作詞が行われましたが、作詞が完成したときにシュトラウス2世が5部目のワルツを送ってきました。さらにシュトラウス2世はヴァイルの作詞にいくつかの改定の注文をつけました。ヴァイルはシュトラウス2世の要求に何とか応えながら、1866年の普墺戦争でプロセイン帝国に敗れたオーストリア帝国の国民を元気づけるような歌詞を作詞しました。

 シュトラウス2世とヴァイルによって完成した曲は1867年2月15日にウィーンのディアナザールでの初演を迎えることになりました。ところが、初演の直前まで曲名がつけられていませんでした。ハンガリーの詩人カール・イシドール・ベックの詩「An der Donau」の中の「An der schönen, blauen Donau(美しく青きドナウのほとりで)」が曲名として選ばれました。残念ながら記録が残っていないため、誰が曲名をつけたのかはわかっていませんが、シュトラウス2世の父のヨハン・シュトラウス1世のワルツ「ドナウ川の歌」に似ていたことからこの曲名となったようです。

 「美しく青きドナウ」はまるで計算しつくされてできあがったような完璧とも言えるワルツです。誰もが目をつぶれば美しいドナウ川の情景を想像できるような名曲ですが、実はドナウ川を想像して作曲・作詞された曲ではなかったのです。ですから、ヴァイルの歌詞にはドナウ川が一切登場しませんし、シュトラウス2世は初演の直前になってオーケストラ伴奏を作曲しています。ドナウ川のさざなみを表現したかのような序奏も初演の直前になって追加されたものです。

 さて、よく耳にする「美しく青きドナウ」には合唱が入っていません。実はヴァイルのオーストリア国民を元気づける歌詞が時世や曲名や曲に合わなくなったことから、曲に若干手が加えられて歌詞なしでの演奏が行われるようになりました。これによって歌詞が入った曲が上演されることはなくなりましたが、曲の出来栄えがよくなり、このことが「美しく青きドナウ」を世界中の誰もが知る名曲へと押し上げたのです。

美しく青きドナウの楽譜(シュトラウス2世のサイン入り)
美しく青きドナウの楽譜(シュトラウス2世のサイン入り)

 自分が初めてこの曲を聴いたのは映画「2001年宇宙の旅」のワンシーンでした。真っ暗な宇宙空間にぽっかりと浮かぶ宇宙ステーション。回転する宇宙ステーションに、これまた回転しながら近づいて到着する宇宙船、壮大な景観にぴったりな選曲でした。

 また、オーストリア航空でウィーンを訪れたとき、着陸時にこの曲が流れていました。高度を下げ始める飛行機、窓から見えるウィーンの街、そして着陸までのプロセス、この曲がぴったりと合いました。オーストリアでは公式ではありませんが国民に第二の国家として親しまれています。だからこそナショナル・フラッグのオーストリア航空の機内でこの曲が流されるのでしょう。

 「美しく青きドナウ」、ドナウ川の美しい景観を想像するような、とても素晴らしい名曲で、完璧な出来栄えのワルツと信じ込んでいたのですが、この曲がドナウ川とは無関係に作曲されたことを知ったのはずいぶん後のことでした。

 あの名曲が・・・でもやっぱり名曲です。

ワルツ「美しく青きドナウ」

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