荒川静香選手が金メダルを獲得(2006年2月23日)
2006年2月10日から2月26日にかけてイタリアのトリノで開催された2006年トリノオリンピック。日本人選手のメダルの獲得が期待されていましたが、開幕から何日経過してもメダル獲得のニュースは聞こえてきませんでした。あっという間にたくさんの競技が終わり、気がついたらメダルを取れそうな協議はフィギュアスケートの女子シングルだけになっていました。
トリノオリンピックに参加したフィギュアスケートの女子選手は荒川静香選手、村主章枝選手、安藤美姫選手でした。
2月21日に行われたショートプログラムの滑走順は安藤美姫選手14番目、荒川静香選手21番目、村主章枝選手27番目でした。安藤美姫選手は初のオリンピック参加で、怪我をひきづっていたこともあり実力を発揮することができず56ポイント8位、村主章枝選手はほとんど完全な演技でしたが点数は伸びず61.75ポイント4位となりましたが、滑走順29番の米国サーシャ・コーエン選手が演技するまでは第3位につけていました。荒川静香選手はショパンの「幻想即興曲」でほとんどミスのない演技で66.2ポイント3位につけました。ショートプログラム終了時点での1位は米国のサーシャ・コーエン選手66.73ポイント、2位はロシアのイリーナ・スルツカヤ選手66.70ポイントでしたから、大接戦で2月23日のフリースケーティングを迎えることになりました。
フリーの滑走順は安藤美姫選手14番目、荒川静香選手21番目、村主章枝選手22番目でした。ショートプログラム8位の安藤美姫選手はフリーであえて4回転サルコーに挑戦、回転不足で転倒し84.2ポイントで16位となりました。自分らしい演技、納得できる演技を求めてのオリンピックで4回転サルコーの挑戦だったと思います。その後の活躍を考えると、安藤美姫選手にとってトリノオリンピックはかけがえのない経験になったのではないかと思います。
ショートプログラム首位のサーシャ・コーエン選手が荒川静香選手の直前の20番目に滑り、序盤のジャンプで失敗し、点数を伸ばすことができずに116.63 ポイントとなりました。
荒川静香選手は「トゥーランドット」でフリーに挑戦。ループジャンプで失敗しましたがほとんど完璧に演技をこなしました。また加点のないイナバウアーをあえて取り入れ、点数だけではなく自己表現を重視した演技を行いました。荒川静香選手が演技を終えると観衆はスタンディングオベーション、自己最高得点125.32ポイントを叩き出し首位につけました。
イアバウワーは旧西ドイツの女性フィギュアスケート選手イナ・バウアーが開発した技です。イナバウワーは両足を前後に爪先を180度開いて真横に滑る技です。荒川静香選手が披露した上半身を大きく反らせて行ったイナバウアーはレイバック・イナバウアーまたはサーキュラー・イナバウアーとも呼ばれます。荒川静香選手の象徴的な演技でイナバウワーが有名となりましたが、背中を大きく反らして滑る技がイナバウワーという誤認が広がりました。
荒川静香選手の直後は村主章枝選手が登場、フリップからコンボを失敗した以外はノーミスの演技でしたが、他の演技で高レベルが取れず、 113.48ポイントとなり、第3位につけました。村主章枝選手の後はショート5位の米国のキミー・ワイズナー選手の演技の終了時点で、荒川静香選手1位、サーシャ・コーエン2位、村主章枝選手3位となりました。
そして、迎えた最終滑者24番目にロシアのイリーナ・スルツカヤ選手の登場です。もうこの時点で荒川静香選手のメダル獲得は確定しています。そのまま逃げ切って金メダルとなるか、イリーナ・スルツカヤ選手に逆転されて銀メダルになるかです。村主章枝選手が銅メダルを取れるかどうかもイリーナ・スルツカヤ選手の演技にかかっていました。イリーナ・スルツカヤ選手はフリーの最高得点は2005年ロシア杯で出した130.48ポイントです。村主章枝選手の銅メダルはもちろんですが、荒川静香選手選手の金メダルも厳しいと思っていました。
ところが、イリーナ・スルツカヤ選手のフリーの演技はかつてみたことのない失敗の繰り返しとなりました。相当なプレッシャーがかかっていたのだとは思いますが、コンビネーションがシングルジャンプとなったり、トリプルフリップがダブルとなたあり、ループジャンプで転倒したりしてしまいました。これまで完璧な演技を確実にこなしていた選手とは思えないほどキレが悪い演技となり、村主章枝選手の113.48ポイントに及ばない114.74ポイントとなりました。このイリーナ・スルツカヤ選手の演技終了時点で荒川静香選手の金メダルが確定しました。
自分は当時テレビを見ながらとあるBBSに参加してコメントを入れていたのですが、参加者全員がテレビを見ながら盛り上がっていました。金メダル確定の瞬間には掲示板が「やったー」「おめでとう」「えらい!」などの文字で埋め尽くされたことをよく覚えています。
2006年トリノオリンピックで日本が獲得したメダルは荒川静香選手の金メダル1個だけでしたが、日本のみならずアジア選手として初めてオリンピックのフィギュアスケートで金メダルの獲得となり、大金星となりました。
荒川静香選手が金メダルを獲得できたのはオリンピックで完璧な演技をすることをめざして練習を重ね、冷静に演技をこなすことができたからでしょう。冷静に完璧な演技をこなすことができたのは精神的にも強くなっていたからでしょう。
荒川静香選手は1998年長野オリンピックに出場しましたが、2002年ソルクレートシティオリンピックには出場できませんでした。しかし、その後は練習を積み重ねて2004年の世界選手権で金メダルを獲得しています。当時、荒川静香選手は世界選手権やオリンピックなどはあまり眼中になく、世界タイトルを獲得した者しか参加できないアイスショーに出演することめざしていたようです。
その後、インタビューで引退の表明をしたこともありましたが、2006年トリノオリンピックの出場権を得て、フィギュアスケートに向かい合い、オリンピックで完璧な演技をすることへの挑戦を始めたそうです。完璧な演技は高得点を狙うこととは違い、自分らしさを追求した完璧な演技をすることでした。だからこそ加点のないイナバウアーを取り入れたのでしょう。その結実が金メダル獲得につながり、観衆を感動させてスタンドオベーションを引き起こしたのでしょう。そして、あの日にBBSであの瞬間を共有した参加者全員を感動させたったのでしょう。
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