「NHKのど自慢」放送開始(昭和21年1946年1月19日)
心地よいチューブラーベルの音で始まる「NHKのど自慢」。「のど自慢素人音楽会」として1946年1月19日午後6時から7時半まで、NHK東京放送会館においてラジオ第一放送で公開放送されました。戦後、GHQによって放送の民主化が進められ、政府による放送の統制がなくなると、いろいろな番組が登場するようになりました。「のど自慢素人音楽会」もその中のひとつで、一般市民の聴衆者が歌声を披露できる素人参加型の番組でした。一般市民にとってラジオは聴くもので、自分の声が電波に乗るということは想像もつかないことでした。当時としては画期的な企画の番組だったのです。
第一回の出演者をニュースで公募したところ、900人もの応募があったそうで、瞬く間に大人気の番組となりました。「のど自慢素人音楽会」は軍隊で行われていた演芸会にヒントを得ているそうです。カラオケが日本発祥であることからも想像できますが、日本人はもともと歌を歌うのが好きだったのでしょう。
昭和22年(1947年)には番組の名前を「のど自慢素人演芸会』に変更し、歌だけではなく、ものまねや漫才なども対象とし、面白い素人がたくさん登場しました。昭和35年(1960年)にはテレビとラジオの同時放送が開始され、昭和45年(1970年)に再び歌のみを対象とした番組とななり、番組名は「NHKのど自慢」となりました。
「のど自慢素人音楽会」を軍隊の演芸界にヒントを得て企画したのは、当時NHKで音楽番組を担当していた三枝嘉雄(ペンネーム三枝健剛、音楽家の三枝成彰さんの父)さんだったそうです。いろいろなアイデアを盛り込んだ歌番組を企画したそうです。「NHK紅白歌合戦」を企画したのも三枝嘉雄さんです。「のど自慢素人音楽会」の開始から5年後のことでした(ココログ 夜明け前「NHK紅白音楽合戦(昭和26年 1951年1月3日)」)。
自分は「のど自慢」というとアコーディオン奏者の横森良造さんを思い出してしまいます。出演者がマイクの前で「○番、○○を歌います」と言って歌い始めるのですが、横森さんはいかなる曲でも、どんな歌い方にも合わせてアコーディオンの伴奏をこなしていました。
のど自慢の影響は大きく、素人や歌や演芸を競う番組がたくさん登場しました。「スター誕生!」や「お笑いスター誕生!!」などの番組に登場した素人が後に有名な歌手や芸人になった例は枚挙にいとまがありません。
ところで北海道出身の歌手の北島三郎さんは、函館市西高等学校に通っていたときに函館市で行われた「NHKのど自慢」の公開放送に出場されたそうです。鐘は2つしか鳴らなかったそうですが、司会者の宮田輝アナウンサーに「いい声でした」「お上手でした」と声をかけられ、この言葉で歌手を目指すことにしたそうです。
| 固定リンク | 0
「音楽」カテゴリの記事
- グレン・ミラー「チャタヌーガ・チュー・チュー」が世界初のゴールドディスクに(1942年2月10日)(2025.02.10)
- 「中山美穂コレクション」のLPレコード(2024.12.10)
- 童謡「赤い靴」の女の子が連れて行かれたところは?(2024.10.19)
- 【おもしろ映像】古代エジプトのマイケル・ジャクソン(2024.07.27)
- ヘンデルの水上の音楽の初演(1717年7月17日)(2024.07.17)
「函館の話」カテゴリの記事
- 開拓使廃止で三県一局時代に(明治15年1882年2月8日)(2025.02.08)
- 東浜桟橋(旧桟橋)と北海道第一歩の地碑(2024.12.06)
- 新島襄が同志社英学校(同志社大学)を創設(1875年11月29日)(2024.11.29)
- 函館運上所|税関記念日(1872年11月28日)(2024.11.28)
- 米海軍航空母艦ホーネット(CV-12)が函館に寄港(1962年8月21日)(2024.11.16)
「昭和の思い出」カテゴリの記事
- 江戸幕府が主要な街道に一里塚を設置(慶長9年 1604年2月4日)(2025.02.04)
- 丸井今井呉服店小樽店(2025.01.26)
- 【懐かしのゲーム】フロントライン(1982年11月)(2025.01.10)
コメント