南極探検隊タロ・ジロの日(1954年1月14日)
1956年11月8日、南極観測船「宗谷」は第1次南極観測隊を乗せて東京湾を出向しました。宗谷には隊員の他に22頭の樺太犬が乗っていました。犬たちの役割は南極で犬ぞりを引くことでした。
第一次観測隊は1957年1月に南極に到着、オングル島に観測基地を設営し、その基地を昭和基地と名付けました。そして、第1次越冬隊が結成され、越冬隊員11名と犬たちの1年間にわたる越冬が始まり、宗谷は越冬隊と犬たちを昭和基地に残して、日本に帰国しました。厳しい環境の中で、犬たちは良く働きましたが、残念なことに、行方不明になってしまった犬や死んでしまった犬もいました。22頭の犬の中には、シロという名前の雌犬が1匹だけいました。シロは越冬中に子犬を産みました。
1958年2月、第2次観測隊を乗せた宗谷が再び南極を訪れました。第1次越冬隊と任務を交代する予定でした。ところが、宗谷が昭和基地の約140 km手前の洋上で、南極の厚い氷に行く手を阻まれ、南極に上陸できない状態となりました。さらに悪天候が続き、第2次越冬隊の派遣を断念せざるを得ない状況にまでなってしまいました。
第1次越冬隊は無事に救助され、シロと子犬たちは隊員たちに連れられて、宗谷に戻ることができました。しかし、15頭の犬たちは昭和基地に残されました。隊員たちは後で必ず迎えにくるからと、15頭の犬たちを鎖につなぎ、1ヶ月分の食料を与えて基地を後にしたのです。隊員たちは宗谷で天候の回復を待ちましたが、燃料や食料がぎりぎりになり、ついに犬たちを迎えに行くことができないまま帰国せざるを得なくなりました。
多くの人たちが犬たちの生存に悲観的でした。南極という厳しい環境の中で、鎖につながれた犬たちが生きていけるはずがありません。なぜ犬たちを南極に置き去りにしたのかという厳しい批判が観測隊に向けられました。
南極に連れていった樺太犬たちは、もともとは飼い犬でした。観測隊が、飼い主に頼み込んで借りてきた犬たちでした。飼い主たちの悲しみはとても深かったのです。観測隊員は飼い主のところにシロの子どもを連れていったりしたらしいのですが、それは自分の犬ではないと悲しんだ飼い主もいたそうです。
1959年、第3次南極観測隊を乗せた宗谷は昭和基地近くの洋上からヘリコプターを飛ばしました。基地の様子を見るためです。同年1月14日、2頭の犬を発見したという無線が飛び込んできたのです。なんと極寒の中でタロとジロの2頭だけが奇跡的に生きのびていたのです。このニュースに世界中の人たちが感動しました。
タロとジロが生き延びたのは、決して奇跡ではないという考えもあります。樺太犬はもともと寒さに強い犬であること。体力が十分についた年齢だったこと。南極は天然の冷凍庫で、越冬隊の残飯やアザラシの肉などが腐らずにあったこと。鎖が切れたこと。どうやって、タロとジロが生き延びたのかは2頭の犬にしかわかりませんが、彼らが彼らの力で生き抜いたという事実を奇跡と簡単にはいえないでしょう。
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