日本における動力飛行機の初飛行(1910年12月19日)
19世紀末から20世紀の初めにかけて、世界各国の技術者が空を飛ぶことへの挑戦をしていました。初めてエンジンを搭載した飛行機の初飛行に成功したのはアメリカのライト兄弟です。ライト兄弟は1903年12月17日にライトフライヤー号で最高速度48 km/h、高度9.15 m、航続距離260 mの59秒間の飛行に成功しています(ライト兄弟が初飛行に成功)。
日本にも飛行機の研究をしていた技術者がいました。二宮忠八は明治24年(1891年)4月29日に日本初のゴム動力の模型プロペラ飛行器を飛ばすことに成功し、本格的に飛行機の開発に取り組みました。しかし、ライト兄弟に先を越されてしまったことを知り、飛行機の開発を諦めてしまいました(二宮忠八 日本初の模型プロペラ飛行器を飛ばした男)。
日本における動力飛行機の初飛行は外国製の飛行機を使って行われました。使用された飛行機はドイツ製の「グラーデ単葉機」とフランス製の「アンリ・ファルマン号」でした。
この2機の外国製飛行機で初飛行に成功したのは陸軍軍人の日野熊蔵と徳川好敏です。2人は1910年(明治43年)4月11日、操縦技術習得のためフランスのアンリ・ファルマン飛行学校エタンプ校に派遣されました。その後、日野熊蔵はドイツで操縦技術を学び、グラーデ単葉機を購入しました。
初飛行の記録会が公開されたのは1910年12月19日代々木練兵場(現在は代々木公園)でした。日野熊蔵はグラデー単葉機、徳川好敏はアンリ・ファルコン号で初飛行に成功、これが日本における動力飛行機による初飛行と記録されました。
当初は日野式自動拳銃などを発明していた日野熊蔵に注目が集まっていましたが、初飛行の挑戦は最初に徳川好敏のアンリ・ファルコン号、日野熊蔵のグラデー単葉機の順番に行われました。そのため、徳川好敏が日本初飛行と記録されました。徳川好敏は清水徳川家8代当主でもあり、この初飛行の成功によって当時没落していた徳川家の名誉回復にもなりました。
実は公開日の5日前の1910年12月14日、日野熊蔵が滑走試験をしていたところ、機体が空中に浮き上がり、初飛行を果たしていました。当初はこれが日本における動力飛行機の初飛行とされましたが、初飛行を報じた新聞社は1社のみでした。その新聞によると、このときの飛行距離は60 mとされていますが新聞記者の目測でしかありませんでした。また、日野熊蔵本人や現場を仕切っていた物理学者の田中館愛橘も初飛行成功には言及していません。実際には滑走中に飛行機が浮き上がっただけであり、操縦できる状態の「飛行」ではなかったようです。日野熊蔵本人もフランスやドイツで飛行訓練を受けていますので、飛行機が飛んでいる状態を身をもって知っていたはずです。その日野熊蔵本人が初飛行に言及していないのですから「飛行」とは言えなかったのでしょう。
結果として14日の日野熊蔵の初飛行は記録として残らず、19日に最初に飛行に成功した徳川好敏のアンリ・ファルンコン号の飛行が日本における動力飛行機の初飛行とされている。
二宮忠八は飛行機の開発を上層部に上申していましたが却下されたそうです。もしも開発を継続することができていたら、世界初の動力飛行機の初飛行は国産飛行機で成し遂げれていたかもしれません。
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