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2020年12月14日 (月)

マックス・プランクがプランクの法則を発表(1900年12月14日)

 プロイセン王国のオットー・フォン・ビスマルク首相は1862年に「現在の大問題は演説や多数決ではなく、鉄と血でこそ解決される」という熱血演説を行い、ドイツの統一を果たすためには軍事力しかないことを力説しました。優れた大砲を手に入れるには、高純度の鉄を得る必要があります。プロイセン王国は鉄鉱石の産地アルザス・ロレーヌ地域で製鉄に力を入れました。

 高純度の鉄を作るためには溶鉱炉の温度を正確に管理しなければなりません。しかし、鉄が溶融する数千度の温度を測れる温度計はありませんでした。そこで、職人が長年の経験から溶融した鉄の色からを見て温度を見極めていました。物体から出てくる光の色が物体の温度によって変わることは知られていました。そこで、溶鉱炉の温度を正確に知るため、物体の温度と光の色の関係を解明する研究が盛んに行われるようになりました。

 高温の物体から出てくる光を研究するためには、色のついていない黒い物体が放射する光、黒体放射を調べる必要があります。黒体から放射されるエネルギー関して、イギリスの物理学者レイリー卿ことジョン・ウィリアム・ストラットとジェームズ・ジーンズ、ドイツの物理学者ヴィルヘルム・ヴィーンはそれぞれ近似式を導くことを試み始めました。しかし、レイリー・ジーンズの式は振動数が大きくなると実測値と合わず、ヴィーンの式は振動数が小さくなると実測値と合いませんでした。

 ドイツの物理学者マックス・プランクはレイリー・ジーンズの式とヴィーンの式を組み合わせると黒体放射スペクトルをより正確に再現できると考え、光のエネルギーの値がある最小単位の整数倍しか取れないと仮定すると、実測値と理論値が合致することを発見し、1900年12月14日にプランクの法則を発表しました。プランクの法則における光の最小単位の定数はプランク定数と名づけられ、物理定数となっています。

マックス・プランク
マックス・プランク

 プランクの法則は後にアインシュタインやボーアによって確立されていく量子力学の根幹となるものでした。この発見が量子論の扉を開いたことからプランクは「量子論の父」と呼ばれ、1918年にノーベル物理学賞を受賞しました。

 この記事の最初に説明した通り、量子力学が発展するきっかけは純鉄の製造でした。鉄の温度を正しく測ろうという試みが、分子、原子、電子、光子やその他の素粒子などのミクロな世界を探究する量子力学へとつながったのです。量子力学の幕開けについては、ココログの「光と色と」に下記の解説記事がありますので、興味がありましたらご一読ください。

純鉄の製造を求めて|量子力学の幕開け(1)
高温の物体から出る光を調べる|量子力学の幕開け(2)
飛び飛びのエネルギー|量子力学の幕開け(3)

 

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