ライト兄弟が初飛行に成功 (1903/12/17)
アフリカでの人類が誕生以来、人類にとって移動することは生きていくために必要不可欠なことでした。最初は自分の身体のみで移動していましたが、やがて動物を利用したり、道具を利用するようになりました。陸上の移動や水上の移動はかなり古くから発達しましたが、空は簡単ではありませんでした。空を飛ぶ鳥を見て、どうやったら空を飛ぶことができるのだろうかと考え、その偉業に挑戦しようとした人はたくさんいたに違いありません。
イタリアのレオナルド・ダ・ヴィンチは1490年にヘリコプターや人力のオーニソプター(羽ばたき機)の設計図を残しています。ヘリコプターは竹トンボのようなものを見ていれば思いつくと思いますが、ダ・ヴィンチのヘリコプターはゼンマイで螺旋状のプロペラを回転させるものでした。オープニソプターは鳥の骨格や羽ばたきを観察して設計したものでした。しかし、当時の技術ではこのアイデアを実現することはできませんでした。
最初に空を飛ぶことに成功したのは飛行機ではなく熱気球でした。世界では初めて熱気球による有人飛行を成功させたのはフランスのジョゼフ=ミシェル・モンゴルフィエとジャック=エティエンヌ・モンゴルフィエのモンゴルフィエ兄弟です。彼らは実験を重ね、1783年11月21日に地上に係留されていない気球による有人飛行を成功させました。
19世紀末、空の移動手段はモンゴルフィエ兄弟の熱気球から発展した飛行船でした。飛行船は浮力で空中に浮かび上がることができますが、揚力で飛ぶ動力をもつ飛行機は実現されていませんでした。この頃、ドイツのオットー・リリエンタールはイギリスのジョージ・ケイリーが考案したハンググライダーを作り、改良を重ねて飛行実験を繰り返していました。リリエンタールの飛行実験は世界中で報道され、空を飛ぶ飛行機の実現への期待が高まりました。リリエンタールは1896年8月9日の飛行実験で墜落して死亡しています。
リリエンタールの飛行実験に興味をもったのがアメリカのオハイオ州デイトンで自転車屋を運営していたウィルバー・ライトとオーヴィル・ライトのライト兄弟です。
ライト兄弟は実際に飛行機を製作し、飛行実験を開始しました。ライト兄弟の飛行機は木製の骨組みに布を張ったものでしたが、動力としては自力で開発した水冷12馬力の小型エンジンを採用しました。また、機体の姿勢制御として、左右の主翼をねじることによって機体を傾ける方法を考案しました。パイロットは腹這いに搭乗し、左手で機種を上下するレバー、右手で機体を傾けるレバーを操作するようになっていました。
1903年12月17日、ライト兄弟はアメリカ・ノースカロライナ州のキティホーク近郊のキルデビルヒルズという町で動力飛行機の公開実験を行いました。ライト兄弟が公開実験に使った飛行機は「ライトフライヤー号」といいます。
飛行実験は砂場で行われたため、ライトフライヤー号はレールの上を滑走して飛び立つようになっていました。静止している飛行機は左右のバランスが取れないため、人の手で翼を支える必要がありました。エンジンを始動すると、滑走する飛行機と一緒に走り、空へ飛んでいくライトフライヤー号とパイロットを見送ります。
この日には4回飛行し、1回目は弟のオーヴィルによる操縦で12秒(約36.5 m)の飛行に成功しました。2回目は12秒(約53.3 m)、3回目は15秒(約60.9 m)、そして最後の4回目は兄のウィルバーによる操縦で59秒(約259.6 m)の飛行に成功しました。動力飛行機による人類初の飛行に成功した世紀の瞬間でした。
ライト兄弟は公開飛行に先立って新聞社や友人などに多くの招待状を出していましたが、この世紀の瞬間に立ち会ったの観客は5人だけだったそうです。ライト兄弟にとって初飛行は栄光だけではありませんでした。「機械が空を飛ぶことは不可能」などと言われ、しばらくの間はライト兄弟による初飛行は信用されませんでした。また、飛行機が兵器として注目されたこともあり、ライト兄弟が取得した飛行機に関する特許は紛争が絶えませんでした。
ライト兄弟のライバルであったグレン・カーチスは1903年の10月と12月に飛行実験に失敗したスミソニアン協会のサミュエル・ラングレーの飛行機エアロドームが世界初の飛行機であると主張し、1914年にエアロドームの再実験を行いました。再現されたエアロドームは飛行に成功、スミソニアン協会は世界で初めて飛行機を作ったのはサミュエル・ラングレーとしたのです。ところが、このエアロドームは多くの改良がされており、1903年の当時のものではありありませんでした。
兄のウィルバーは特許紛争の中でチフスによって1912年に亡くなりました。一方、弟のオーヴィルも飛行機の開発をやめてしまいました。失意の中、ロンドン科学博物館がライトフライヤー号を展示したいとオーヴィルに申し出てきました。オーヴィルはこの申し入れを受諾し、大学の倉庫に保管されていたライトフライヤー号を1928年にイギリスに送りました。
ライトフライヤー号がロンドン科学博物館に展示されていることはやがて問題へと発展しました。スミソニアン協会はオーヴィルにライトフライヤー号をアメリカに戻すように要請しましたが、オーヴィルは頑なに断りました。1942年、スミソニアン協会は1914年のエアロドームの実験が虚偽であったことを認め、ライト兄弟に初飛行の偉業を認めて謝罪しました。これを受けてオーヴィルはライトフライヤー号をアメリカに戻すことを承諾しました。
1948年12月17日、ライトフライヤー号がワシントン国立博物館で盛大に展示公開されました。ライト兄弟が初飛行に成功してからちょうど45年後のことです。オーヴィルは1948年の初めに亡くなっていました。
オーヴィルは晩年に飛行機を発明を後悔したと言っています。1943年に最近100年間の十大発明は何かと聞かれたときには、飛行機を加えませんでした。そして、オーヴィルは第二次世界大戦を見て飛行機がもたらした破壊を残念に思うと述べています。
ライト兄弟の初飛行から約120年の歳月が経ち、人類は空を超えて、宇宙へ飛び出しています。ライト兄弟の功績は末長く語られていくでしょう。
【関連記事】ライト兄弟が初飛行に成功 (1903/12/17)
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・クレマン・アデールが世界初の動力飛行に成功(1890年10月9日)
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