歌舞伎十八番の勧進帳(かんじんちょう)
山伏というのは修験者のことで、修験道の行者のことです。修験道というのは、山深くにこもって修行をする神仏習合の宗教です。神仏習合というのは神様と仏様への信仰を一緒にしたものですが、明治元年の新政府による神仏分離令によって禁止となりました。要するに神様と仏様はきちんと区別しなさいということだったのですが、もちろん現代においては信教の自由は認められています。
ところで山伏は山で厳しい修行していたわけですから、山の中を自由に動きまわることができました。横の連携が強く、また関所を通らなくても良いという特権を持っていました。
さて、勧進帳(かんじんちょう)という歌舞伎十八番の演目があります。源義経と武蔵坊弁慶が源頼朝から逃れて平泉の藤原氏のもとへと逃れたときに、頼朝は義経を捕まえようととして関所を強化しました。これを知った義経たちは、山伏に変装して関所を通過しようとします。弁慶は焼失した東大寺を再建するため勧進を行っていると説明しますが、関所の関守は義経たちが山伏姿で移動しているという情報を掴んでいて、義経一行ではないのかと嫌疑をかけ、関所を通そうとしません。
そこで、弁慶が白紙の巻物を勧進帳だと読み上げます。勧進帳というのは、お寺や仏像を作るときに寄付を求めるときに使った書類です。それを読み上げ、さらに山伏の心得や秘密の呪文などをすらすらと述べたものですから、関守は一行を山伏と信じて、関所を通ることを許可します。
ところが、関守の部下が一行の1人が義経に似ていると進言します。関守は一行を呼び止めますが、それを聞いた弁慶はもっていた杖で義経を叩きます。この弁慶の機転によって一行は難を逃れることができました。弁慶は主君の義経を助けるためとは言え、義経を叩いたことを涙を流して詫びます。義経は弁慶の手を取り、2人で共に戦った平家との戦の話をします。そこへ、関守が現れて、関所での一行への無礼を詫びて酒をすすめます。弁慶は酒を飲み、舞いをひとさしすると、関守に目礼し、義経の後を追いかけます。
この関守は富樫左衛門という者で、もともとは義経を取り逃がしたという設定でしたが、後になって、弁慶が義経を叩いたときの心、義経の心に思いをはせて、わざと逃がしたという、かっこいい役回になりました。
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