鈴木梅太郎がオリザニン(ビタミン)を報告(1912年12月13日)
現代においては「脚気」は直る病気ですが、昔は不治の病として人々にたいへん恐れられていました。日本では、元禄時代に江戸の町で大流行し、以後昭和に入るまでにたくさんの人々が脚気で命を失いました。脚気の原因はビタミンB1の不足ですが、当時は原因不明の病気だったのです。
脚気の原因がビタミンB1の不足であることを突き止めたのは、日本の農芸化学者の鈴木梅太郎です。鈴木博士は脚気にかかった鳩に米糠を与えると、脚気が治ることに気がついたのです。
1910年に脚気を治す成分を米糠から抽出することに成功し、同年12月13日にその研究成果を東京科学会で発表しました。1911年1月の東京化学会誌に「糠中の一有効成分に就て」という題名の論文が掲載されました。その論文には米糠の有効成分が脚気を治すだけではなく、動物に不可欠な栄養素であることが明記されていました。鈴木博士はこの成分を「アベリ酸」と命名し、後に「オリザニン」と付け直しました。このオリザニンがビタミンB1(チアミン)だったのです。オリザニンの発見は世界で初めてのビタミンの発見でした。
しかし、残念ながら鈴木博士の研究成果は日本では大きく取り上げられることはありませんでした。当時、日本の医学界で脚気は伝染病であるという考えが中心的だったためです。その跡、鈴木博士の論文はドイツ語に翻訳されましたが、「オリザニンは新しい栄養素である」という1行が削除されてしまったため、ビタミンの発見としても世界的な注目を受けることはありませんでした。
1911年、ポーランドのカシミール・フンクがオリザニンと同じ成分を抽出することに成功し、生命(ビタ)に必要な有機化合物(アミン)であるとしてビタミンと名付けました。
鈴木梅太郎は間違いなく世界で初めてビタミンを発見した人です。しかし、世界で注目を受けることがなかっため、ビタミンの発見をカシミール・フランクに譲ることになりました。
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