榎本武揚らが日本初の公選入札を行う(1868年12月15日)
慶応3年(1867年)、江戸幕府15代征夷大将軍徳川慶喜が大政奉還を行い、新政府軍大総督府参謀の西郷隆盛と江戸幕府陸軍総裁の勝海舟によって江戸城が無血開城しました。
慶應4年(1868年)8月19日、江戸幕府海軍副総裁の榎本武揚は無血開城の条件であった旧幕府艦隊の引渡に応じず、開陽丸を旗艦とする8隻の艦隊で蝦夷地に向かいました。途中、暴風雨により2隻を失いましたが、8月下旬には仙台に到着、仙台で桑名藩の松平定敬、大鳥圭介が率いる伝習隊、土方歳三をはじめとする旧新選組、渋沢成一郎が率いる彰義隊、古屋佐久左衛門が率いる衝鋒隊、星恂太郎が率いる額兵隊などの残党約3千名と合流しました。新政府軍が仙台に入城すると、榎本武揚の艦隊は10月9日に仙台を離れました。このとき、榎本武揚は旧幕臣の保護とロシア侵略に備えるため蝦夷地を開拓する嘆願書を新政府軍に送っています。
榎本武揚が率いる旧幕府軍は10月20日に内浦湾に面する鷲ノ木(現、森町)から蝦夷地に上陸し、そこから函館の攻略を始めました。10月26日に五稜郭を占領し、11月1日に榎本武揚が五稜郭に入城しました。これにより蝦夷地を支配下に置くことに成功しました。
旧幕府軍は実質的には榎本武揚が率いていましたが、様々な組織の残党の集まりであったこともあって、統制が難しい状況にありました。そこで、榎本武揚らは米国の政治体制などを参考に公選入札を行いました。その結果、榎本武揚が総裁に選出されました。投票に参加したのは指揮官以上でしたが、これが日本で初めての選挙となりました。明治元年(1868年)12月15日のことです。
さて、旧幕府軍は11月に新政府軍に従っていた松前藩を開城させ、その後、開陽丸とともに江差攻略に向かいました。11月15日には江差を無血占領することができましたが、その夜、暴風雨により開陽丸が座礁、沈没してしまいました。開陽丸を失った旧幕府軍は制海権を確保できなくなり、新政府軍が蝦夷地への上陸を開始、函館戦争が開戦しました。明治2年(1869年)5月18日に五稜郭が落城、歴史は戊辰戦争の集結へと向かったのです。
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