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2020年12月 4日 (金)

湖上の煙に空の炎(1971年12月4日)

 1971年12月4日、スイスのレマン湖畔のモントルー・カジノが火災で焼け落ちました。湖上に煙が広がり、空には赤々とした炎が燃え上がりました。いったい何が起きたのでしょうか。

 当時、カジノのステージでフランク・ザッパとマザーズのコンサートが行われていました。コンサートが佳境に入ったとき、一人の愚かな観客が天井に向けて信号弾を発砲しました。燃えやすい資材で作られていた天井はあっという間に炎に包まれました。

 カジノは焼き尽くされながら、すさまじい音を立てて崩れ落ちていきます。その中で、モントルー・ジャズ・フェスティバルの創始者のファンキー・クロードことクロード・ノブスが危険を察知し、子どもたちを救出するべく、建物に出たり入ったりと走り回っていました。

 この火災でレコーディングの予定が狂って大変な目にあったロック・バンドが第二期(1969-1973年)ディープ・パープルです。ディープ・パープルはローリング・ストーンズから借りた移動録音スタジオ「モービル・ユニット」を用いて、カジノのステージでアルバムのレコーディングをする予定でした。

 録音場所を変更せざるを得なくなった彼らは別の劇場で録音を再開しましたが、大音響に近隣住民が警察に通報し、レコーディングができなくなってしまいました。その後、地元の協力を得て別の空きホテルで録音を再開することができました。

 「モービル・ユニット」をホテルの入り口に停め、ホテルの廊下でレコーディングを再開しました。真冬の寒い中、元気が出るようにと赤いライトを照らして演奏を行いました。

 そして、できあがったアルバムが1972年3月に発表した「マシン・ヘッド」で、この事件の顛末を歌詞として記録した曲が「スモーク・オン・ザ・ウォーター」だったのです。

 たった一人の愚かな観客のためにカジノが全焼し、自分たちの予定が狂ってしまった。この曲の最後で彼らは次のように結んでいます。

  ここから何を得られたとしても、

  そうさ俺達は決して忘れない

  湖畔の煙、空の炎

  湖畔の煙

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