太平洋記念日(1520年11月28日)
1519年8月10日、ポルトガルの航海者フェルディナンド・マゼランは西回りで香料諸島(インドネシア・モルッカ諸島)へ渡航する航路を発見するためスペイン艦隊を率いてセビリアを出航しました。
マゼラン艦隊はアフリカ大陸北西のカナリヤ諸島を経て南下し、同年12月13日に南アメリカ大陸東海岸のリオ・デ・ジャネイロに到着。その後、さらに南下しながら香料諸島(インドネシア・モルッカ諸島)へと通じる海峡を探索しました。
1520年3月31日、厳しい冬を迎えた艦隊はアルゼンチンのサン・フリアン湾で越冬を開始しましたが、不満分子が反乱を起こします。反乱制圧後、マゼランは付近の探索を命じますが、しばらくの間は先を見通すことができない状況が続きました。
1520年8月24日、マゼラン艦隊は航海を再開し、さらに南下を続け、ビルへネス岬から未知の海峡へ進入します。入り組んだ海峡を西に進み、同年11月28日、ついに太平洋へ到達しました。これを記念して、11月28日が太平洋記念日となりました。
このとき、マゼランは大西洋に比べて太平洋が穏やかだったことから、太平洋のことをラテン語で平和な海という意味をもつ「El Mare Pacificum」と呼びました。英語ではPacific Ocean(平和な海)となり、日本語では「太平な海」と訳され、太平洋となりました。マゼラン艦隊が通過した海峡は後にマゼラン海峡と呼ばれるようになりました。
その後、マゼラン艦隊は香料諸島をめざして西へ進みましたが、途中、セブ島周辺の島々でキリスト教の布教を行いました。島々の多くの王はマゼランに従いましたが、マクタン島の王の一人がマゼランに従いませんでした。マゼランは60人の兵士を率いてマクタン島に出撃しました。敵兵が1500人にも配備されていたにもかかわらず、マゼランは神が味方するからと突撃を命じます。多勢に無勢でマゼランたちは敗走し、1521年4月27日にマゼラン自身も戦死してしまいます。
マゼランの死後も艦隊は航海を続け、同年11月8日に香料諸島に到着します。目的を果たした艦隊は1522年9月8日に出発地のスペインのセビリアに到着、ついに地球一周を果たしました。
マゼランがセビリアを出航したとき、艦隊は旗艦トリニダード号、サン・アントニオ号、コンセプシオン号、ビクトリア号、サンティアゴ号の5隻の船に270人の船員が乗っていました。セビリアに帰投できた船は部下のスペイン人フアン・セバスティアン・エルカーノが率いたビクトリア号1隻のみで船員はわずか艦長以下18名でした。当時、帆船での地球一周の渡航がいかに過酷だったかがわかります。
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