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2020年11月23日 (月)

初の日米間テレビ宇宙中継受信実験(昭和38年 1963/11/23)

 昭和35年(1960年)、東京オリンピック(昭和39年、1964年)の開催に向けて、世界で初めてとなるオリンピック生中継の計画が日本でスタートしました。しかしながら、この頃はまだ海を越えた大陸間でのテレビ中継の技術はまだ確立していませんでした。

 昭和36年(1961年)、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領は通信衛星を打ち上げて、遠く離れたアメリカとヨーロッパの間で電波を送受信する計画を発表しましたが、この計画では日本は技術力が足りないという理由で実験の対象から外されていました。

 東京オリンピックの生中継を成功させるためには、アメリカに日本の技術を認めさせる必要がありました。日本の技術者たちは独自に通信衛星から電波を送受信するためのアンテナの開発に着手しました。衛星からの電波はわずか10兆分の1ワットの強さしかありませんでした。アメリカで点灯した電球の熱を日本で感じるぐらい難しいものだったのです。

 幾多の困難を乗り越えて、昭和38年11月、ついに直径20mもあるパラボナアンテナ(カセグレンアンテナ)を備えた通信基地が完成しました。ついにアメリカは日本の実験への参加を認めたのです。

 そして、昭和38年11月23日(日本時間)、アメリカと日本との間で衛星中継の実験が2回行われました。午前5時27分からの第1回目の放送ではカリフォルニア州のアメリカ航空宇宙局(NASA)近くのモハーヴェ砂漠の風景の映像がモニタに映し出されました。衛星中継の実験は見事に成功したのです。このとき衛星中継成功を祝うケネディ大統領のメッセージが日本に届けられる予定でした。ところが、肝心のケネディ大統領の映像が流れてきませんでした。

 「ケネディ大統領暗殺」という衝撃的なニュースが送られてきたのは午前9時から行われた第2回目の放送でした。このニュースは当時ニューヨークに駐在していた毎日放送ニューヨーク特派員の前田治郎さんが日本語で「この電波でこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのは誠に残念に思います」と伝えました。前田治郎さんがケネディ大統領の暗殺を取材しているときに、急遽、日本語のナレーションを入れることが決まったようです。

 1964年10月1日に開幕した東京オリンピックは1964年8月19日に打ち上げられたシンコム3号という静止衛星で世界中に中継されました。

Syncom
世界初の静止衛星Syncom

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