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2020年11月 3日 (火)

ゴジラの日 1954年11月3日(昭和29年)

 映画『ゴジラ』は1954年(昭和29年)に東宝が制作した特撮怪獣映画で、同年11月3日に封切られました。ゴジラシリーズは第1作目から66年も続いており、昔からファンの間では11月3日はゴジラの誕生日と認識されていました。しかしながら、「ゴジラの日」が制定されたのは3年前です。2017年に東宝が制定し日本記念日協会により認定されました。

映画「ゴジラ」(1954年公開)のポスター
映画「ゴジラ」(1954年公開)のポスター

 初期のゴジラシリーズでは、第1作目から1966年の第7作目の『 ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』まで、特撮を円谷英二監督が担当しました。1967年の第8作目『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』からは円谷英二監督が降板し、愛弟子と言われた有川貞昌監督が担当しました。当時としては本格的な特撮怪獣映画となりました。円谷英二監督は降板しましたが、映画からテレビに活動の軸を変え、1966年には『ウルトラQ』、1967年には『ウルトラマン』の放送を開始しています。

 第1作目の『ゴジラ』は自分が生まれる前に公開された映画ですが、他のゴジラ映画とともにテレビで何度も見た記憶があります。子どもの頃の興味は怪獣ゴジラのみでしたが、今改めて見ると『ゴジラ』のストーリーおよび映像は非常に秀悦な出来栄えで、たいへん奥が深い映画であることを再認識させられます。

 第1作目では、ゴジラが出現した経緯も架空の話ではありますが、古生物学者山根博士が「ジュラ紀から白亜紀にかけて生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物の末裔が、ビキニ環礁の原子爆弾研究で安住の土地を追われ、出現したのではないのか」と科学的な仮説を立てています。そして、ゴジラが現れた大戸島の伝説の海神「呉爾羅」にちなんでゴジラと名付けられました。

 大戸島の「呉爾羅」については島の老人が神社でのお祭りで新聞記者に説明しています。「おそろしくでけえ怪物でしてね。海のものを食い尽くすと、今度は陸へ上がってきて人間までも食うそうだ。昔は長くシケの続くときには、若けえ娘っ子を生贄にして遠い沖へ流したもんだ。ええ、今じゃそのときの神楽、こうやって厄払いで残っているだ。ええ」。まるで「呉爾羅」は八岐大蛇のような存在です。

 人間たちを恐怖に陥れるゴジラは人間たちの核兵器によって呼び起こされました。その人間たちがゴジラを退治しようとします。そこに矛盾がたくさん生じます。そのような中、山根博士と山根博士の娘の恵美子の恋人でもある南海サルベージKK所長の尾形が次のようなやり取りをします。

  • 山根博士「ゴジラを殺すことばかり考えて、なぜ物理衛生学の立場から研究しようとしないんだ。このまたとない機会を」
  • 尾形所長「先生、僕は反対です」
  • 山根博士「尾形君、わしは気まぐれに言ってるんではないよ。あのゴジラは世界中の学者が誰一人として見ていない。日本だけに現れた貴重な研究資料だ」
  • 尾形所長「しかし、先生、だからと言ってあの凶暴な怪物をあのまま放っておくわけにはいきません。ゴジラこそ我々日本人の上に今なお覆いかぶさっている水爆そのものではないですか」
  • 山根博士「その水爆の放射能を受けながら、なおかつ生きている生命の秘密をなぜ解こうとはしないんだ」
  • 尾形所長「しかし、、、」
  • 山根博士「君までもがゴジラを抹殺しようと言うのか。帰りたまえ、帰ってくれたまえ」

山根博士は怒って尾形所長を追い返してしまいます。科学的な視点および倫理的な議論が随所に出てきます。

 そして、いろいろな防御を破り、ついにゴジラが東京に上陸します。破壊の限りを尽くし、あたりは放射能で汚染されてしまいます。

 その状況をテレビで見ていたのが山根博士の愛弟子で恵美子の元恋人の薬物化学者の芹沢でした。芹沢は酸素の研究中に偶然に水中の酸素を一瞬で破壊し生物を窒息死させ、その後に液化してしまう、液体中の酸素破壊剤「オキシジェン・デストロイヤー」を発見していました。

 芹沢は自らが発明した「オキシジェン・デストロイヤー」の威力に慄きます。芹沢はこのことを恵美子だけに打ち明けていました。恵美子は恐ろしい研究をなぜ進めるのかと芹沢を追求します。芹沢は科学者として研究を続けているのに過ぎないと答えます。恵美子が恐ろしい目的に利用されたらと言うと、芹沢は兵器として利用されたら水爆と同じように人類を破滅に導くかもしれないと述べます。そして、芹沢は「オキシジェン・デストロイヤー」を社会のために役に立つようにする、それまでは絶対に発表しないと言います。もしも、このまま使用を強制されたら、自分の死とともに研究を消滅する決意だと言います。恵美子は秘密を守ることを約束します。

 しかしながら、恵美子はゴジラによる東京のあまりもひどい惨状を見て、芹沢の研究を尾形に打ち明けます。尾形と恵美子は芹沢の元に向かい、尾形はゴジラの退治にオキシジェン・デストロイヤーを使わせて欲しいと頼みます。芹沢はオキシジェン・デストロイヤーとは何かととぼけますが、恵美子は芹沢に秘密を破ったことを告げて謝罪します。

 芹沢は秘密を知っているならば、オキシジェン・デストロイヤーを使わない理由もわかるはずだと言って、強硬に拒否し、部屋に鍵をかけて閉じこもってしまいます。尾形と恵美子がドアをこじ開けて入ると、芹沢はオキシジェン・デストロイヤーを処分しようとしていました。止めに入った尾形が芹沢と揉み合い、怪我をしてしまいます。

  • 芹沢「尾形、許してくれ。もしこれが使用できるなら、誰より先にこの俺が持って出たはずだ。だが、今のままでは恐るべき破壊兵器に過ぎないんだ。わかってくれよ。なぁ尾形」
  • 尾形「よくわかります。だが、今、ゴジラを防げなければこれから先いったいどうなるでしょう」
  • 芹沢「尾形、もしもいったんこのオキシジェン・デストロイヤーを使ったら最後、世界の為政者たちが黙って見ているはずがないんだ。必ず、これを武器として使用するに決まっている。原爆対原爆、水爆対水爆、その上さらにこの新しい恐怖の武器を人類の上に加えることは科学者として、いや一個の人間として許すわけにはいかない。そうだろ」
  • 尾形「では、この目の前の不幸はどうすればいいんです。このまま放っておくより仕方がないんですか。今、この不幸を救えるのは芹沢さん、あなただけです。たとえ、ここでゴジラを倒すために使用しても、あなたが絶対に公表しない限り、破壊兵器として使用されるおそれはないんじゃありませんか」
  • 芹沢「尾形、人間というのは弱いもんだよ。一切の書類を焼いたとしても、俺の頭の中には残っている。俺が死なない限り、どんなことで再び使用する立場に追い込まれないと誰が断言できる。ああ、こんなものさえ作らなきゃ」

 そこにテレビのニュースが流れます。変わり果てた東京の惨状、被災者たち、女子学生の平和を祈る歌声を目の前にして、芹沢は「尾形、君たちの勝利だ。しかし、僕の手でオキシジェン・デストロイヤーを使用するのは今回一回限りだ」と言い、オキシジェン・デストロイヤーの一切の書類を焼き尽くし、ゴジラの退治を決意します。

 このシーンも芹沢のたいへんな葛藤があります。芹沢の決意というのはゴジラの退治だけでは済まないのです。

 ゴジラ退治のため尾形、芹沢、山根博士は船で東京湾に向かいます。ガイガーカウンターでゴジラを発見すると、芹沢は尾形に潜水服を着せるよう頼みます。尾形、山根博士は反対しますが、芹沢は「これっきりしかないオキシジェン・デストロイヤーで、完全な状態で作用させるには、水中操作意外にはないのです」と答えます。一緒に入りましょうという尾形に芹沢は「俺一人でたくさんだ」と言います。尾形は素人を海の中に放り込めないと言って、自分も水中に入る準備をします。

 芹沢と尾形の2人は潜水服を着て、ゴジラのいる海中に降りて行きます。海底に到着した2人はゴジラを探索し、ついにゴジラの姿を発見します。芹沢は、尾形だけを浮上させると、自分はゴジラの足下に移動し、そこでオキシジェン・デストロイヤーを作動させます。オキシジェン・デストロイヤーから多量の泡が発生し、ゴジラが苦しみ始めます。

 尾形が船上から芹沢を呼び出すと、芹沢は「尾形、大成功だ。幸福に暮らせよ。さよなら」と告げて、自分の命綱と送気管をナイフで切ってしまいます。芹沢は自分の命に変えて、オキシジェン・デストロイヤーの秘密を守ったのです。

 ゴジラは一瞬だけ海上に姿を表し断末魔とともに海中へと沈んでいきます。ゴジラを退治した芹沢を讃えるアナウンサー。悲しみくれる山根博士、尾形、恵美子。

 山根博士は「あのゴジラが最後の一匹だと思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れてくるかもしれない」と述べます。

 船上の全員が海に向かって敬礼。取り戻された美しい海原で終劇となります。

 自分が『ゴジラ』を認識したのは1965年に公開された第6作目の『怪獣大戦争』あたりと思います。1968年の第9作目『怪獣総進撃』はしっかりと記憶があります。この頃は怪獣同士の戦いや宇宙人との戦いなどがテーマになり、またゴジラの立場が人間の恐怖の対象ではなくなるなど、子どもにわかりやすい怪獣映画になっていました。そして、だんだんゴジラは下火になっていきました。子どもたちはテレビドラマのヒーローと怪獣・怪人に釘付けになっていたからでしょう。

 第一期のゴジラシリーズは1975年で終わり、第二期が始まったのは9年後の1984年です。以降、ゴジラの立ち位置がぶれることもありましたが、やはり立ち返るところは第1作目『ゴジラ』ではないかと思います。

 古代の人々にとって、自然現象は畏れ多いものであり、その存在や変化は神の恵み・神の怒り・神聖なもの・邪悪なものとして捉えてたに違いありません。科学技術が発展した現在においては、様々な現象の原理や仕組みが解明されて、不思議なことは極めて少なくなりました。だからと言って、人類が万能であるわけがありません。科学と技術を使いこなすのは人間です。誤った使い方をすると、とでんもないことになってしまいます。そこに現れてきたのがゴジラでしょう。

 ゴジラは人間の行動によって自然の中から現れたものです。ゴジラの存在は人類への警鐘であり、畏れ多いものと言えるではないでしょうか。

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