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2020年11月17日 (火)

スエズ運河が開通した日(1869年11月17日)

 かつて西洋と東洋を結ぶ交易と言えば陸路のシルクロードでした。シルクロードによって世界的な異文化交流が進みました。

 15世紀前半になると大航海時代に入り、海路の開発が進みました。1498年にポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ大陸南端の喜望峰を回るインド航路を発見すると、西洋と東洋の交流にも海上航路が盛んに利用されるようになりました。

 インド航路はたいへん便利な海洋航路ですが、アフリカ大陸を迂回するため非常に距離が長く、相当の時間を要しました。ヴァスコ・ダ・ガマがポルトガルのリスボンを出発したのが1497年7月、インドのカルカッタに到着したのが1498年5月です。時間がかかるだけではなく、決して安全な航路ではありませんでした。

 さて、世界地図を見るとわかりますが、アフリカ大陸の東北部とアラビア半島の間には紅海があります。紅海は大陸の内部の方まで食い込んでいますが、地中海とは繋がっていませんでした。もし、地中海から紅海に抜ける運河ができれば西洋から東洋への航路はずいぶん短くなります。しかしながら、言うは易く行うは難しで、この運河の実現は簡単なものではありませんでした。

 1798年にフランスのナポレオンがエジプトに遠征していますが、このときナポレオンは付近の発掘調査をしています。当時は欧州とインドの貿易はイギリスが制していましたが、ナポレオンは地中海と紅海を運河で結べば、その状態に一石を投じられると考えました。調査の結果、紅海の海面の水位が地中海より10 m高いことがわかり、多額の費用と時間がかかるという理由から運河の建設を断念しました。しかしながら、この調査の結果は誤っていました。1830年にはイギリスの探検家が紅海と地中海の海面の差はないことを報告していますが、イギリスは運河の建設には乗り出しませんでした。

 その後、運河建設の調査に乗り出したのはフランスでした。1846年にスエズ運河研究会が立ち上げられ、1858年にフランスの外交官フェルディナン・ド・レセップスがエジプト総督から利権を得てスエズ運河会社を設立しました。

スエズ運河の風景画(1881年)
スエズ運河の風景画(1881年)

 スエズ運河の建設にはおよそ10年かかりました。10年間でエジプト人の強制労働を含む延べ150万人が劣悪な労働環境のもとに働かされ、数千人が命を落としたと言われています。スエズ運河の建設に反対していたイギリスはこの強制的な労働を批判し、労働者に反乱を起こさせました。

 多くの技術的課題を乗り越え、政治や財政の問題を抱えながら、スエズ運河は1869年11月17日に開通しました。スエズ運河の完成したのは開発から2年経過した1871年でした。完成したスエズ運河は全長164キロメートル、深さ8メートル、幅44メートルでした(注)。スエズ運河は、陸路や喜望峰回りのインド航路よりも、より便利で迅速で安全であることから利用が広がり、西洋と東洋の交流に大きな役割を果たすことになりました。

  スエズ運河は2015年に複線化され、昨年2019年11月17日に150周年を迎えました。1869年からこれまでに通過した船舶数は130万隻(総重量286億トン)を超えており、エジプトの主要な外貨収入源になっています。

 さて、スエズ運河によって地中海と紅海が接続されたことによって、船舶だけではなく、両方の海に生息する海洋生物も移動することも可能になりました。とりわけ紅海の海洋生物が地中海に入り込み生息域を拡大しています。逆に地中海の海洋生物が紅海で繁殖することはほとんどありません。これは紅海の塩分濃度が高く、栄養に乏しいことに起因しています。この生物の移動をスエズ運河を建設したレセップスの名を取って「レセップス移動(Lessepsian Migration)」と呼ばれています。


  • 注 現在は全長193.30キロメートル、深さ24メートル、幅205メートル

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