お婆さんの長男は一〇〇式司令部偵察機の偵察兼通信兵
一〇〇式司令部偵察機(キ64)は第二次世界大戦当時の日本陸軍の司令部偵察機です。昭和14年(1939年)に初飛行し、昭和16年(1941年)から実戦配備され、終戦の昭和20年(1945年)まで使用されました。
司令部偵察機の任務は、できるだけ迅速に目的地に到着し、偵察および現場の空撮を行い無事に戻ってくることです。そのため高度4000〜6000メートルで最高速度時速600キロメートル以上の性能が求められました。当時の飛行機で最大速度時速600キロメートルは非常に厳しい要求でした。開発・製造担当の三菱重工業は要求される性能を達成するべく、開発を進めました。三型(キ46-III)は高度6000メートルを時速630キロメートルで飛行することができました。
このブログで紹介した「農家のお婆さん 昭和40年頃(1965年頃)」。彼女の長男はカメラと写真そして機械が大好きだったそうです。末っ子の弟を連れ出して、写真を撮影したり、真っ暗な納屋の中で現像をしていたようです。彼女は長男には農業に専念してもらいたかったようで、いつもカメラや写真で飯は食えないと小言を言っていたようです。
いつの間にか、親子の確執もできていたのかもしれません。やがて長男は農家を継ぐこともなく家を出ていきました。そして、彼が行った先は陸軍でした。長男はカメラ・写真・機械の技術をもっていたことで、すぐに陸軍に採用されたようです。やがて、一〇〇式司令部偵察機の後部座席の偵察兼通信兵となり、東南アジアに赴任しました。戦局が悪くなり、遠い地で帰らぬ人となりました。
お婆さんは長男からの手紙を大事にしまってありました。その手紙の中にあったのが次の写真です。日本刀を手にした凛々しい若者が写っています。いつ撮影したものかわかりませんが、おそらく終戦間近に戦地で撮影したものと思います。
光と色と Color Images|白黒写真をカラー写真にするアプリで紹介されているアプリでカラー化してみました。
白黒写真では勇しく見えましたが、カラー写真では優しい顔に見えます。少し寂しそうな表情にも見えます。
一〇〇式司令部偵察機に何度も乗って、現地を偵察し、空撮したのでしょう。しかし、彼が亡くなったのは機上ではなかったと伝えられています。戦局が悪くなり、司令部の基地に敵機がやってくるようになったそうです。一〇〇式司令部偵察機はとても貴重な飛行機です。事前に来襲がわかっていれば、敵機がやってくる前に離陸して基地から離れることができたでしょう。しかし、あの日は間に合わなかったといいます。一〇〇式司令部偵察機を隠そうとしていたところを襲撃されたようです。
お婆さんには、遺骨は戻らず、わずかな形見と手紙と写真だけが手元に残りました。お婆さんが長男のことを語ることはあまりなかったようです。
しばらく経過して、昭和30年ぐらいのことでしょう。長男にカメラや写真の楽しさを教わっていた末っ子は新聞社のカメラマンになりました。お婆さんは、長男が変なことを教えたから、カメラや写真などという先がわからないような職業を選んだと、末っ子の行く末を嘆いたそうです。
しかし、日本は戦後の復興を果たし、東京タワーの建設、新幹線の開通、東京オリンピックなど報道カメラマンが活躍する時代になっていたのです。お婆さんの予想は外れ、末っ子はお婆さんの自慢の息子になったそうです。
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