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2020年10月22日 (木)

青函連絡船「津軽丸」進水式 昭和38年(1963年)11月15日

 青函連絡船「津軽丸」は神奈川県の浦賀重工業浦賀造船所(通称・浦賀ドック)で造船されました。昭和38年5月24日に起工し、同年11月15日に進水式が行われました。この写真は進水式の時のものです。

青函連絡船「津軽丸」進水式 昭和38年11月15日
青函連絡船「津軽丸」進水式 昭和38年11月15日

 津軽丸就航前は戦中や戦後に造船された粗悪な連絡船が就航していました。青森-函館間も4時間30分を要していました。青函連絡船の輸送力の強化を目的に機械化され自動化された船が建造されることになりました。これにより所用時間も3時間50分となりました。造船された最初の一隻が津軽丸となりました。

 上の写真には次のようなコメントが入っていました。

青函連絡船 ”津軽丸” 進水式

出来得る限り機械化され北海道と本州を結ぶかつての旧連絡船に代わって役目を果たす。

六隻発注のうちの第一船である。

"神奈川県浦賀ドックで写す"

 六隻発注とありますが、この六隻とは八甲田丸・松前丸(2代)・大雪丸(2代)・摩周丸(2代)・羊蹄丸(2代)のことです。これらの連絡線は昭和40年(1965年)8月までに就航しています。その後、青函航路の輸送の需要が高まったため、国鉄は1965年10月にもう一隻を追加発注し、1966年11月に十和田丸(2代)が就航しました。津軽丸を合わせて、これら七隻の連絡線は「津軽丸型」と呼ばれました。津軽丸は1982年(昭和57年)3月に引退しました。その後、六隻の船は「八甲田丸型」と呼ばれるようになりました。

 1904年(明治41年)3月に開業した青函連絡船は、1982年(昭和57)に東北新幹線開通、1987年4月に国鉄民営化を経て、1988年9月に廃止となり、84年の歴史に幕を閉じました。

光と色と Color Images|白黒写真をカラー写真にするアプリで紹介されているアプリでカラー化してみました。

青函連絡船「津軽丸」進水式 昭和38年11月15日 AIカラー化
 青函連絡船「津軽丸」進水式 昭和38年11月15日 AIカラー化

次の写真は津軽丸の左手前に設置してあった進水式の看板をカラー化したもです。

青函連絡船「津軽丸」進水式の看板 AIカラー化
青函連絡船「津軽丸」進水式の看板AIカラー化

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