富士山は初冠雪か 2020年9月28日
久しぶりに富士山が見えました。1週間ぐらい前に「初雪化粧」が宣言されていましたが、この感じだと「初冠雪」が発表されるのではないかと思います。この写真の富士山の方向は南西です。
ところで、富士山の「初冠雪」は「8月1日以降、山麓の気象官署から山頂付近が初めて積雪などで白く見えること」とされており、この山麓の気象官署というのは山梨県の甲府地方気象台のことです。従って、甲府地方気象台から冠雪が確認できるようになるまでは「初冠雪」は発表されません。
久しぶりに富士山が見えました。1週間ぐらい前に「初雪化粧」が宣言されていましたが、この感じだと「初冠雪」が発表されるのではないかと思います。この写真の富士山の方向は南西です。
ところで、富士山の「初冠雪」は「8月1日以降、山麓の気象官署から山頂付近が初めて積雪などで白く見えること」とされており、この山麓の気象官署というのは山梨県の甲府地方気象台のことです。従って、甲府地方気象台から冠雪が確認できるようになるまでは「初冠雪」は発表されません。
農家で働くお婆さんの写真です。年齢は60代と思いますが、これは昭和40年頃の写真です。
明治生まれのお婆さん、畑仕事、鶏や山羊の世話など、忙しい日々を送ったそうです。
優しいお婆さんには何か寂しそうな顔をするときがあったそうです。聞いてみると、ご長男は第二次世界大戦で陸軍に所属し、百式司令偵察機の後部座席で通信および写真撮影などを担当したそうです。戦局が悪くなり、遠い地で帰らぬ人となったとのこと。
光と色と Color Images|白黒写真をカラー写真にするアプリで紹介されているアプリでカラー化してみました。
白黒写真でもわかりますが、髪の毛は白髪ではありません。顔の表情もよりはっきりします。着物や前掛けの色も再現できているのではないかと思います。
自分は未だスマートフォン SONY Xperia Z5(au SOV32)を使っているのですが、最近になって温度が常時45度を超える状態が続いていました。
特段に重いアプリも入れたわけではないのですが、使用頻度の低いアプリをアンインストールもしくは無効化し、ほとんどのアプリの通知をブロックし、バックグラウンドの稼働を無効にしてみました。
しかしながら、問題は解決することはできず、スマホの温度がひどい時には47度まで上昇してしまいます。
以前と何か環境や設定が変わったのか、いろいろ調べてみたところ、Google Chromeにページの読み込みを高速化する機能「ライトモード」が追加されていてオンになっていることに気がつきました。
試しに、ライトモードをオフにしてみたところ、スマホの温度が下がり30℃ぐらいになりました。何もしていない状態だと26℃ぐらいまで下がります。ライトモードはChromeの設定の中にあります。
Chromeのバージョンは、Chrome 85.0.4183.31、AndoroidのバージョンはAndroid 7.0 SOV32 Build/32.3.C.0.403
Chromeのライトモードはページの読み込みを高速化し、データ通信量を節約してくれる機能なので、問題なければ、そのまま継続して使用することをお勧めします。
現在、ライトモードをオンに戻して問題が再発するかどうか確認中です。
銀座四丁目交差点からのぞむ東京タワー、三愛ビルと和光本館の時計台が写っています。松坂屋あたりから撮影した写真と思います。
東京タワーは既に完成しています。和光本館は今でも時計台も含めて残っています。
三愛ビルを拡大してみると、下部の看板に「三愛ビル新築場」と書いてあるように読めます。上部は何やら工事中の雰囲気です。改築前に取り壊しているのでしょうか。昭和36年頃でしょうか。
最初の写真を光と色と Color Images|白黒写真をカラー写真にするアプリで紹介されているアプリでカラー化してみました。
東京タワーちゃんと赤色っぽくなっています。
古いオープンリールのテープレコーダーが出てきました。
中古品のオークションなどで型番を調べてみたところ1963年発売の東芝製カレッジエースGT-610(TOSHIBA College Ace GT-610)というモデルのようです。 数千円で販売されています。アンティークですね。
当時は家庭で手軽に使えるカセットテープレコーダーなどはありませんでしたので、テープレコーダーと言えば、オープンリールのものでした。右側のレバーで再生や巻き戻しなどを行い、真ん中のダイヤルがボリュームだったと思います。左側には赤色の録音ボタンがありました。
気軽に子どもに触らせていますが、たいてい壊します( ̄▽ ̄)
例によって、光と色と Color Images|白黒写真をカラー写真にするアプリで紹介されているアプリでカラー化してみたところ、こんな感じになりました。
確か側面は青色だったように記憶していますが、少し濃いものの青色が再現されています。
モノレールで羽田空港に向かうとき、東京や神田で山手線か京浜東北線に乗り換えて浜松町に行き、モノレールに乗り換えます。
毎度のことですが、特に混んでいるときは、まず出口がどちら側なのかが気になります。そして、次に気になるのはエスカレーターの位置です。最初から調べておけば良いのですが、それも面倒です。ネットで調べるのが簡単ですが、多くのサイトは詳細に解説しているので、急いでいるところ、すぐに見つけるのが大変です。ということで、すぐにわかる備忘録を作りました。
■山手線 外回り(品川・渋谷方面) 到着ホーム 3番線
東京方面から浜松町に向かう山手線は外回りで到着ホームは3番線です。山手線の各駅でドアが開く方向にも記載していますが、ドアは左側が開きます。エスカレーターに近い号車番号とドアは10号車の前寄り2番目のドア、7号車の前寄り1番目のドアです。
▶︎ドアの開く方向
▶︎エスカレーターに近い号車番号とドア
■京浜東北線 南行(川崎・横浜方面) 到着ホーム 4番線
東京方面から浜松町に向かう京浜東北線は南行で到着ホームは4番線です。ドアは右側が開きます。エスカレーターに近い号車番号とドアは9号車の前寄り3番目のドア、6号車の前寄り2番目のドアです。
▶︎ドアの開く方向
▶︎エスカレーターに近い号車番号とドア
最近、家庭ではほとんど見かけることがなくなった二槽式洗濯機。レトロな家電として展示されていたものです。
二槽式洗濯機は洗濯と脱水ができる洗濯機として昭和35年に三洋電機から発売されました。
二槽式洗濯機より前の洗濯機は、脱水は洗濯が終わった衣類などをローラーで挟んでハンドルを回して水を絞り出すタイプのものでした。二槽式洗濯機では、第一槽で洗濯を行った衣類を手動で第二槽に移し、第二槽を高速回転させることにより脱水が行われます。脱水が非常に早く、そして楽になりました。
全自動洗濯機はコースを選んでボタンを押すだけですが、二槽式洗濯機はやや操作が必要です。次が操作パネルです。
左側のダイヤルが洗濯槽のタイマーです。その右隣の黄色い2つのスイッチは水流の強さの切り替えです。その右のダイヤルは排水バルブのコックです。上にあるときには洗濯槽に水がたまり「洗い」「すすぎ」ができます。右に倒すと排水されます。その右側は、ここに水道のホースがつくのですが、水を洗濯槽に送るか、脱水槽に送るかの切り替えスイッチです。その右はメーカー名。「TOSHIBA 2.2銀河 VH1515」とあります。そして最後に一番右端のダイヤルは脱水槽のタイマーです。操作というより、機械を操縦するかのようです。
脱水槽には注意書きがしっかり書かれています。脱水槽が完全に停止するまで手を入れるなということです。脱水槽のブレーキが壊れると、扉を開けても回転がとまりにくくなるよう、15秒で止まらない場合は故障とあります。また、脱水槽の洗濯物の上には丸い形をした押さえ板を入れるのですが、その入れ方の注意事項も書かれています。
このタイプの洗濯機は27歳ぐらいまで使っていました。学生時代の下宿、会社の寮の洗濯機はすべてに二槽式洗濯機だったのです
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バックアップ用のUSB外付けHDDが調子が悪くなったので、新しいUSB外付けHDDを購入しました。
購入したのは下記のバッファロー製のハードディスクです。
BUFFALO ミニステーション USB3.1(Gen1)/USB3.0用ポータブルHDD 1TB HD-PCFS1.0U3-BBA
調子が悪いHDDは数年前に購入したバッファロー製のハードディスクですが、読み込みもかなり遅くなっており、異音もします。きっとそのうち駄目になりそうです。
新しいHDDを購入してMac Book Pro(macOS Catalina 10.15.6)に接続し、ディスクユーティリティで初期化しました。どのモードで初期化するか考えましたが、Mac OSとWindows OSで4GBを超えるファイルも読み書きできるexFATを選びました。
実はexFATは少し脆弱でHDDを取り外すときにミスをすると、マウントできなくなってしまうことがあります。自分も過去に経験していたのですが、あれからずいぶん経過しているので改善しているかなと考え、exFATを選びました。
調子の悪いHDDから新しいHDDへのデータ移行は、いくつかのファイルは失われましたが、主要なものは無事に行うことができました。
完了したところで調子の悪いHDDが取り外せなくなってしまいました。これが何か悪さをしたのか、新しいHDDも何か巻き込まれてしまったようで、取り外すことができなくなりました。
出かける直前までやっていたので、待っている時間もなかったのでMacの電源を落として強制的に取り外しました。
そして、移動先で新しいHDDを接続したところ、ガーン!マウントできなくなってしまいました。前にも同じことがおきました。
調子の悪いHDDはそれなりに接続は可能でした。
う〜ん、やはりexFATのせいではないかと思います。
こうなると、まったくHDDにアクセスできなくなります。
経験から下記の方法で復帰できることがわかっているので、やってみました。
とりあえず、これで新しいHDDは復旧しました。しかし、また同じことが起きそうなので、ディスクユーティリティにてフォーマットの種別を「Mac OS 拡張(ジャーナリング)」にして、初期化し直しました。
もう一度、故障しそうなHDDからデータの移行を再開。
無事に終了しました。
ということで、exFATはお勧めしません。
これは2007年に撮影した写真です。
横田基地から飛んできた飛行機です。かつては全日空などでも採用されていたロッキードL-1011 、通称トライスターでした。
主翼の他に胴体の末端にエンジンがある航空機で有名なのはマクドネル・ダグラス DC-10とこのトライスターなのですが、尾部を見るとどちらかすぐに見分けることができます。トライスターの場合は排気口が胴体尾部にありますが、DC-10はエンジンのすぐ後ろ、垂直尾翼の下部にあります。
【希少映像】Japan Airlines - JAL McDonnell Douglas DC-10-40D / 羽田空港 日本航空
トライスター排気口が下部にあります。
[Old-Film] [ANA L-1011] トライスター@成田 JA8521 Narita
上の写真よりこちらの写真の方がわかりやすいです。
ところでこの機体は胴体部分にまったく窓がありませんのでカーゴだと思いますが、尾翼に何も書いてありません。
この塗装はどこの会社だったっけ?横田基地に来ていた飛行機なので米国の航空会社であることは間違いないと思います。
銀座数寄屋橋通りのソニービル。毎年夏になるとソニースクエアにソニー水族館Sony Aquariumが展示されます。このソニー水族館は昭和41年(1966年)から50年以上も続いています。
1966年というと三丁目の夕日の時代より少し後になりますが、あの高度成長期の真っ只中の銀座の街中に大きな水槽が現れ、悠々と魚たちが泳ぎ回る水族館ができたらのですから、当時の人たちにとって、驚きと感動を味わえる画期的なイベントだったに違いありません。
たくさんの人たちが、もの珍しそうに見物しています。写真の下にはソニービルの場所を示す地図が書いてありました。日劇は閉館してしまいましたが、不二家の数寄屋橋点は今でもありますね。朝日は朝日ホールでしょう。
例によって、光と色と Color Images|白黒写真をカラー写真にするアプリで紹介されているアプリでカラー化してみたところ、こんな感じになりました。
どんなカラー映像になるでしょうか。
これはすごい。街や人々の様子はもちろんのことですが、水槽の水の透明性や魚の姿が蘇りました。
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昭和42年(1967年)4月28日に東京都渋谷区千駄ヶ谷の東京都体育館で開催されたロシアのボリショイ氷上サーカスの写真です。写真はたった一枚しか残っていませんでしたが、他にも熊のホッケーなど、たくさんの出し物がありました。
さて、ボリショイサーカスのボリショイはロシア語で「大」を意味します。つまり、ボリショイサーカスは単に大サーカスという意味です。
ロシアのサーカス団が日本で公演した初期に、サーカス団の名前を名乗らず、ボリショイサーカスという名前で公演したところ大人気となったことから、ロシアのサーカスはボリショイサーカスと呼ばれるようになりました。
この日本での人気によって、現在はロシアにおいてもボリショイサーカスと名乗る団体もあります。現在は、ロシアには、ボリショイ・モスクワ国立サーカスとボリショイ・サンクトペテルブルク国立サーカスがあります。
1967年に来日したボリショイ氷上サーカスを調べてみると、モスクワ国立ボリショイ氷上サーカスという名前だったようです。
光と色と Color Images|白黒写真をカラー写真にするアプリで紹介されているアプリでカラー化してみたところ、こんな感じになりました。
昭和37年2月に撮影した伊東駅と伊藤温泉の湯の花銀座(現 湯の花通り商店街)の写真が出てきました。
伊東駅は昭和13年(1938年)に建てられました。内装は大きく変わっていますが、現在も同じ駅舎です。昔の雰囲気が漂う貴重なレトロ駅です。Wikipediaの伊東駅で現在の駅舎の写真を見ることができます。
伊東駅からやや離れたところに、湯の花通り商店街(Google Map)があります。この頃は湯の花銀座と呼ばれていたようです。商店街入り口の写真です。この入り口が現在の商店街の通りのどこだったのかはわかりません。
光と色と Color Images|白黒写真をカラー写真にするアプリで紹介されているアプリでカラー化してみたところ、こんな感じになりました。
伊東駅
伊藤温泉 湯の花銀座(現 湯の花通り商店街)
やはり、カラー化するとイメージが変わります。
今日、スーパーに買い物に行ったら、サンマがたくさん並んでいました。
よく見ると、解凍サンマと生サンマが販売されていました。
こちらが生サンマです。新物とあり一尾398円、ニ尾で796円。
そして、こちらが解凍サンマです。一尾129円、二尾258円です。
生サンマは最近採れたので初物ですが、まだ脂はそれほどのっていません。
一方、解凍サンマは昨年の良い時期に採れたものですから、しっかりと脂がのっています。
初物の生サンマを楽しんだら、生サンマが脂がのるまでは解凍サンマの方が美味しいのでおすすめです。
ただ、秋が深まるごとに美味しくなっていく生サンマの味の変化を堪能するのも良いです。
今から54年前に北海道の父の実家を訪れたときの写真が見つかりました。
次の写真は帰る日に皆で記念撮影したものです。日付は昭和41年1月5日とありました。
真ん中の親子が何かの上に座っています。その前部の下の方を見るとスキー板のようなものがあります。これはソリなのです。そして、このソリを引くのは、この家で飼っているお馬さん。
もちろん、当時の日本では自動車がたくさん走っていましたが、こんな雪原では役に立たず。
馬そりの移動の方が便利で快適だったのです。
光と色と Color Images|白黒写真をカラー写真にするアプリで紹介されているアプリでカラー化してみたところ、こんな感じになりました。
記念撮影
馬そり
やはりカラーにするとイメージが変わって、何かが蘇った感じがします。
この文庫本は1997年の単行本「セブンセブンセブン―わたしの恋人ウルトラセブン」の続編で、もとの単行本に内容がずいぶん追加されています。ご自身のことに加えて、ウルトラセブンの第一話から最終話まで制作に関するエピソードや出演者のことなどにも触れられており、読み応えのあるエッセイ集となっています。単行本のときもあっという間に読んでしまいましたが、文庫本もあっという間に読み終えてしまいました。
ウルトラセブン55周年などで、カラー写真付きで再販されないだろうか・・・
出版社からのコメント
ウルトラセブンのアンヌ隊員が語るセブン全エピソード。
内容(「BOOK」データベースより)
永遠の特撮ヒロイン、アンヌ隊員がホンネで書いたあのころの真実。写真ページを刷新して待望の文庫化。
文庫: 254ページ
出版社: 小学館 (2001/03)
ISBN-10: 4094020764
ISBN-13: 978-4094020762
発売日: 2001/03
商品の寸法: 15 x 10.6 x 1.8 cm
目次
アンヌ誕生
『ウルトラセブン』の仲間たち
アンヌの見た『ウルトラセブン』
『ウルトラセブン』の生みの親
『ウルトラセブン』への回帰
60年代の青春
映画女優
テレビ女優
ひし美ゆり子と私
『セブンセブンセブン』刊行後の出来事
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今年も不漁で始まったサンマ漁ですが、やっと店頭で生サンマを見かけるようになりました。価格は一尾500円以上します。少し良さそうなものは700円以上の値段がついていました。
これはしばらくは居酒屋さんで食べる機会もないかなと諦めていたところ、いつものお店にありました。サンマ焼きで頂きました。
まだ小振りで脂も乗っていません。苦みと融和する美味しさがでそうにないので内臓は取ってもらいました。なので写真ではさらに貧弱に見えてしまいます。このブログに2014年の初サンマの記事があります。写真の倍率が異なりますが、同じお皿です。2014年のサンマはお皿からはみ出しています。だいぶ大きさが違います。
この後、サンマ漁が進めば少しは価格は下がると思いますが、今のところの漁獲量の見通しは厳しいようです。
サンマの漁獲量は2019年は4万517トンしかありませんでした。1990年は31.1万トン、2000年は21.2万トン、2008年には34.3万トンです。バラツキもありますが、それなりに漁獲できていました。ところが、上の写真のサンマが獲れた2014年に22.5万トン獲れていたものが、2015年には11.2万トン、そこから有意に漁獲量が下がっています。今年はどれぐらい獲れるのでしょうか。
サンマの漁獲量推移データ
全国サンマ棒受網漁業協同組合さんのデータを参考に作成
年 | 万トン | 年 | 万トン | 年 | 万トン | 年 | 万トン |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1981 | 15.9 | 1991 | 29.9 | 2001 | 26.6 | 2011 | 20.8 |
1982 | 19.3 | 1992 | 25.9 | 2002 | 20.5 | 2012 | 21.8 |
1983 | 23.3 | 1993 | 27.4 | 2003 | 26.0 | 2013 | 14.8 |
1984 | 22.4 | 1994 | 25.1 | 2004 | 20.5 | 2014 | 22.5 |
1985 | 25.9 | 1995 | 27.3 | 2005 | 23.0 | 2015 | 11.2 |
1986 | 22.6 | 1996 | 23.1 | 2006 | 24.0 | 2016 | 11.0 |
1987 | 21.0 | 1997 | 28.5 | 2007 | 29.6 | 2017 | 7.7 |
1988 | 28.8 | 1998 | 14.0 | 2008 | 34.3 | 2018 | 12.0 |
1989 | 24.7 | 1999 | 13.5 | 2009 | 30.8 | 2019 | 4.05 |
1990 | 31.1 | 2000 | 21.2 | 2010 | 19.3 | 2020 | ???? |
今年も厳しい漁獲量になると思いますが、秋が深まれば脂の乗った美味しいサンマが食べられるでしょう。刺身も楽しみにしています。
実家の写真を整理していたら昭和39年(1964年)の静岡駅の写真が出てきました。
昭和39年8月と記載されているので、まだ新幹線は開業前ですが、既に試運転は行われています。駅の後ろに新幹線の高架が写っています。
ですので、このときの旅行は在来線です。
当時の静岡駅の駅名標の写真もありました。静岡駅の下り側の駅は用宗(もちむね)駅、上り側は草薙(くさなぎ)駅とあります。
現在は静岡駅と用宗駅の間に阿部川駅がありますが、阿部川駅は昭和60年(1985年)開業ですから、当時はなかったのです。また、静岡駅と草薙駅の間には東静岡駅がありますが、東静岡駅は1998年開業です。
さて、駅の全体の写真を
光と色と Color Images|白黒写真をカラー写真にするアプリ
で紹介されているアプリでカラー化してみたところ、こんな感じになりました。
AIによるカラー化ですので、実際と色が異なるところはたくさんあろうかと思いますが、色が加わるとだいぶイメージが変わります。
さて、この写真、ずいぶん高いところから撮影しています。駅舎の後ろに在来線、その後ろに新幹線の高架ですから、静岡駅北口です。当時、この高さから写真が撮れた場所というと松坂屋静岡店でしょうか。松坂屋静岡店は当時も存在しました。
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