寺田屋は焼失していた
京都市伏見区にある旅館「寺田屋」というと、1866年の坂本龍馬暗殺未遂事件や1862年の薩摩藩の粛正事件で有名です。
自分は京都に訪れる度に必ずといって良いほど立ち寄ります。寺田屋の二階には坂本龍馬が滞在した部屋があります。柱には襲撃されたときに龍馬が撃った拳銃の弾痕や、刀の傷痕がしっかり残っています。襲撃時には、龍馬の妻であるお龍が一階の風呂に入っていたようで、お龍は階段を駆けのぼり、龍馬に危険を知らせました。そのお風呂場や階段も残っているのです。
龍馬のいた部屋の真ん中に座ってみたりしていましたが、しばらくして、この寺田屋の建物は当時のものではなかったという説があることに気がつきました。
寺田屋の事件当時の建物は、1868年の鳥羽伏見の戦で焼失しているはずで、現在の建物やは明治38年に登記されたという記録が残っています。お風呂場については明治41年に増築されたという記録が残っています。
当時の寺田屋がどこにあったかというと、寺田屋の正面に向かって右側の庭の部分だったそうです。
今年になって寺田屋の建物を疑問が取りあげられるようになり、京都市が文献資料などをもとに調査を行ったところ、当時の寺田屋は鳥羽伏見の戦で焼失されていたことがわかったそうです。旅館の運営会社は被災した建物を修理したのが今の寺田屋であり、弾痕や刀傷は当時のものであると主張しているそうです。
何かかくたる証拠が出てこない限りは、寺田屋は焼失していたというのが濃厚のようです。
龍馬はどう言うかな。
脇差なんぞはいくらでも売っている。あんな金物を父の形見だとか武士の魂だとか言っているのは自分に自信のない阿呆の言うことだ。形見はお前さん自身。
歴史的事実は受け止めなければなりませんが、そこをちゃんとおさえておけば、ま、その気になっていればいいのでは。寺田屋は寺田屋です。 あの場所ほど坂本龍馬が存在していたことを感じさせる場所は他にあません。
京都にいったらまたそのつもりで行きます。あと月桂冠も(^_^)
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