行き詰まった社会
21世紀に入って資本主義社会もだいぶ行き詰まっていきたような気がする。国内では「規制緩和」や「官から民へ」というかけ声で改革が進んでいる。基本は自由主義・資本主義社会でなければ困るのではあるが、社会主義的な仕組みもしっかり残しておかなければ、助け合い、共同の精神が薄れていき、個々が営利追求に走り、たいへん住みづらい社会になりはしないだろうか。
先日映画で見たマイケル・ムーア監督の「SiCKO」は米国の医療制度の問題をテーマにしたものであった。マイケル・ムーア監督は、この映画の中で、米国の医療保険(健康保険)が営利追求を基本とした枠組みの上に成り立っており、満足に医療を受けられない人たちがたくさんいることを指摘し、公的な医療システムの必要性を訴えている。この米国の状況に比べれば日本はまだ良いのかもしれないが、日本のシステムも米国に似てきているように思う。たとえば、介護問題。民間企業が行うのであるから、基本的に営利追求に走るのは良いが、社会的に果たさなければならない責任をそっちのけで営利追求に走ったらおしまいである。生命保険不払いも同じようなものである。
官が行わなければならないこと、民が行えることを、もう一度しっかり見直さなければならないだろう。しかしである。社会保険庁の年金の横領などのニュースを聞いていると、日本の社会は官が既に駄目である。官が行わなければならないことをがあっても、官が信用できないといから、やらせられないということになる。だからと言って、民に移管というのもあまりにも短絡的である。こんなことを考えると日本はどんどん行き詰まった社会になっていくのではないだろうか。
中国などに工場を建設し、安い労働力でものづくりという流れがある。こうした流れは国内の雇用を犠牲にしている。技術もたくさん流出しているだろう。国際競争力を高めるというかけ声で進められているわけだが、こうした動きは自国の力を弱めることになるのかもしれない。たとえば、日本も、もとはと言えば第二次世界大戦以後、米国から仕事をもらって同じように歩んできたのである。行き着いた先は米国からの日本バッシングだった。日本が急速に成長して米国の経済を脅かすようにまでなったからである。そのうち、中国もバッシングを受けるようになるのかもしれない。気がついたときには、自国の力が衰えていたということになりかねない。
いろいろ難しい問題はあるがバランスの取れた社会をつくっていく必要があるのだろうと思う。しかし、現在の政界を見ているとなかなか難しい。どうにかならないものだろうか。
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コメント
そう思います。もともと国や地域は共同体です。資本主義社会の中にうまく社会主義的な仕組みを取り入れることで成り立つのだろうと思います。今のままでは社会がおかしくなります。しかし、その社会主義的な仕組み作りを中心に進める政治と官が信用できない状況になっているというのは何とも悲しい状況です。
年金横領とか騒がれてますが、税金はどうなのでしょうね。
投稿: toshizo | 2007年9月20日 (木) 04時45分
おはようございます
資本主義を基本としながらも、社会主義的な部分を取り入れていく・・・同じ事を考えていました。
戦後の日本は、社会福祉制度や税制で、こういう理念でやってきたように思います。だから世界でも格差の最も小さな国だった。
でも今は、金持ちがより金持ちになろうとする政策だけが横行していますよね・・
政治家がすでに金持ちだと言うことでしょうね・・
投稿: kitanomizube | 2007年9月20日 (木) 04時36分