元素の周期表を考えた人たち
古代の科学者たちは、物質は「火」「土」「水」「空気」の4つの元素からできていると考え、これを4元素説と名付けました。古代ギリシャの学者デモクリトスは、「ものを分けていけば、もうそれ以上分けることができないものになるはずだ」と考えましたが、この考え方は受け入れられませんでした。17世紀、イギリスの科学者ボイルは理論的に同じような考えを提案しましたが、彼の考えは当時の人には理解されませんでした。
18世紀の後半、フランスの科学者ラボアジエは、ボイルの考え方を追及し、水素と酸素の性質を明らかにしました。そして彼はそれまで有力であった4元素説を否定し、「元素とはそれ以上分解できないものである」と再定義し、33種類の元素を掲載された表を発表しました。
19世紀の初めにドルトンが原子論を発表すると、科学者たちは競って新しい元素の発見に取り組むようになりました。元素が発見されていくにつれて、多くの科学者は元素がその性質によって分類できるのではないかと考えました。1862年、フランスのシャンクトリアは元素を原子量の順番で立体的にらせん状に並べていくと、ちょうど原子量が16番ごとによく似た性質をもつ元素が重なってくることに気がつきました。同じように1864年、イギリスのニューランズは、元素を原子量の順に並べて行くと、まるでドレミの音階のように8番ごとに性質が良く似た元素が現れることに気がつきました。彼は1865年にこの考えを「オクターヴ説」として発表しました。このような中、1863年にロシアのドミトリ・イヴァノヴィチ・メンデレーエフは当時発見されていた63種類の元素に対応する原子を原子量の順に並べると、同じ性質の元素が周期的に現れることを見い出しました。彼は1869年にそれを表にまとめ、この表を元素の周期表と名付けました。
シャンクトリアやニューランズのように、たくさんの科学者が「元素は同じ性質の元素が周期的に現れる」ことを示し表を作りましたが、現在では、メンデレーエフが周期表を作った人として知られています。なぜでしょうか。それは、多くの科学者が当時見つかっていた元素に対して表を作ったのに対し、メンデレーエフは表を作るにあたって対応する元素が存在しない場合には、そこに未知の元素があるはずだと予言して空欄にしたからです。その後、その空欄に入る元素が発見されていき、メンデレーフの周期表の正しさが実証されていきました。
現在では、100種類を超える元素が発見されています。元素の周期表は、元素の性質に関するたくさんの情報が示されており、私たちは元素の周期表を見るだけで、それぞれの元素の性質を知ることができます。私たちの身の回りにあるすべての物質は、この元素の周期表に並べられている元素が組み合わさってできているのです。
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