函館とハーバー(ノーベル化学賞)の関係
フリッツ・ハーバー(1868/12/9-1934/1/29)は1918年にノーベル化学賞を受賞したポーランド(当時はドイツ)の化学者(専門は物理化学)です。
ハーバーの業績は何と言っても空気中の窒素からアンモニアを合成する方法を開発したことです。化学を学んだことのある人であればハーバー法(ハーバー・ボッシュ法)と言えばピンと来ると思います。彼は1904年にこの研究に着手しました。7年後の1912年には、ドイツのBASF社でアンモニアの合成が実用化されました。
植物の生長には窒素が不可欠なのですが、昔は窒素を含む肥料が不足していたため農産物を大量生産することができませんでした。ハーバー法が実用化されたことによって、合成窒素肥料を工業的に大量に生産することができるようになり、農産物をたくさん生産することができるようになったわけです。
植物は食物連鎖では下層の生産者の立場ですから、植物がたくさんできるようになると、動物も増えることになります。私たち人間は植物も動物も食べます。植物を増やしたことによって人口を増やしてきたとも言えるでしょう。
私たちの体を作るタンパク質を構成するアミノ酸には窒素が含まれています。考えてみたら、人類はものすごい量の窒素を固定化してきたとも言えそうです。
さて、話を元に戻します。函館で1874年(明治7年)に殺人事件が起きました。殺されたのはドイツの代弁領事でした。ちょうどこの頃、旧秋田藩の士族であった士田崎秀親は外国の思想を日本から排除しようとして外国人の暗殺をするために函館に来ていました。田崎秀親が函館市中を外国人を捜しまわっていたところに、不幸にも出くわしてしまったのが、このドイツ領事です。ドイツとの外交問題にも発展するほどの事件でしたが、田崎秀親が直ちに自首し、死刑となったこと、事件が田崎秀親の単独犯であったことなどにより、外交問題には発展しませんでした。ドイツ領事は翌日に函館の外人墓地に葬られました。
ドイツ領事が殺された事件現場(函館公園)には下の写真の記念碑が建てられています。
この記念碑は1924年(大正13年)に領事の没後50年ということで建てられたものです。そのときには、ドイツ領事の甥が記念祭に出席していました。この甥がノーベル化学賞受賞者のフリッツ・ハーバーだったのです。 殺されたドイツ代弁領事の名前はルードヴィッヒ・ハーバー、フリッツ・ハーバーのおじさんだったというわけです。この記念碑はハーバー遭難記念碑といいます。
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