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ココログピックアップで紹介されました(2020年10月23日)

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【ココログ】夜明け前のニュース|ニフティニュース

 

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2022年5月26日 (木)

地の果てはどれくらい先にあるか|地平線や水平線までの距離

 散歩しているとずいぶん遠くの景色まで見えるなあと思います。そこで考えてみたのが、地平線、水平線が見える場所に人が立っているとき、その人が見ている地平線や水平線はどれぐらい先にあるのかということです。

夕焼け空に飛行機雲
夕焼け空に飛行機雲

 今さらそんな問題?という感じもしますが、次のような図を描いてみました。立っている人の身長は170 cmとして計算してみました。

地の果てはどれぐらい先にあるか
地の果てはどれぐらい先にあるか

 地球上のある地点に立っている身長170 cmの人が見える地平線は、その人が立っているところからθ度分だけ離れたところということになります(わかりやすくするため、実際のスケールとは違います)。

 人、地平線、地球の中心が作る直角三角形に注目し、身長と地球の半径を考慮し、三角関数を使うか、三平方の定理を使えば、θが求まります。ここでは三角関数を使ってみましょう。

 cosθ=底辺/斜辺ですから、この場合には、cosθ=地球の半径/(地球の半径+身長)ということになります。

  cosθ=6380/(6380+0.0017)

  θ=0.042度

 地平線の位置は θ/360×地球の円周(2πr) で求めることができます。

  地平線の位置 = 0.042/360 ×40000 km

 答は 4.7 km すごい近い。

 つまり速歩きで1時間ほど移動すればそこが地の果てということになります。

 たとえば海でボートに乗っているときには遠くの船は見えない。非常に狭い範囲しか見渡せていないことになります。

 遠くまで見えるようにするためには、高いところに昇る必要があります。10 mの高さの場合は、θ=0.1度になり、地平線は約11 km先、高さ100 mで約35 km先です。

 上の図を応用すると、富士山は何キロ先まで見えるかとか、高度10000mを飛んでいる飛行機が地平線や山に隠れて見えなくなるとき、その空は何キロ先なのかというのが計算できます。

 スカイツリーの展望台からどれぐらい先まで見えるかについては下記の関連記事に計算がまとめてあります。

【関連記事】

東京スカイツリーから見える地平線までの距離

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2022年5月25日 (水)

記録に残る最古のハレー彗星の接近の記録(紀元前240年5月25日)

 昔は宇宙は神が創造した完全なもので恒久的に変化することはないと考えられていました。そのため彗星や超新星など短期間に大きく変化するような現象は大気圏内での現象と考えられていました。超新星は尾を欠いた彗星であると考えられていたのです。

 デンマークの天文学者ティコ・ブラーエは1572年にカシオペア座に現れた超新星SN 1572を観測し、視差が生じないことからSN 1572は月よりもはるかに遠くに存在することを発見しました。これによって彗星は超新星と別物であることがわかり、彗星も大気現象ではないことが解き明かされました。

 ハレー彗星は75.3年の周期で地球に接近する肉眼で見ることができる唯一の周期彗星です。現在ではハレー彗星の軌道計算により過去に遡っていつハレー彗星が地球に接近する年月日を求めることができます。

 最初にハレー彗星の軌道計算を行ったのはイギリスの天文学者エドモンド・ハレーです。ハレー彗星の軌道計算はハレーの友人で1687年に万有引力を発表したアイザック・ニュートンが試みていましたがニュートンが立てたモデルでは彗星の動きを説明することができませんでした。ハレーは1705年にニュートンのモデルに木星と土星の重力の影響を加えてそれまでに発見されていた24の彗星の軌道計算を行いました。その中で1531年にドイツのペトルス・アピアヌスが観測した彗星と1607年にヨハネス・ケプラーが観測した彗星と1682年に観測された彗星が同じものであることを突き止めました。ハレーはこの彗星が1758年に再び地球から観測できると予想しましたが1742年にこの世を去りました。

 1758年12月25日、ドイツのアマチュア天文学者ヨハン・ゲオルク・パリッチュはハレーの予想通り彗星を発見しました。この彗星は1759年3月13日に近日点を通過しました。これによって惑星以外にも太陽を周回する天体が存在することが初めて確かめられたのです。また彗星の回帰は木星と土星の重力の影響で遅れていたこともわかりました。この遅れを含めた起動計算はフランスの数学者・天文学者のアレクシス・クレロー、ジェローム・ラランド、ニコール=レイヌ・ルポートによって示され、これによってニュートン力学の正しさが実証されました。この3人の数学者の1人ルポートが1759年にこの彗星をハレー彗星と名付けました。

エドモンド・ハレーと1986年に観測されたハレー彗星
エドモンド・ハレーと1986年に観測されたハレー彗星

 ハレー彗星は古来から知られており多くの記録が残されています。最初の記録は古代ローマのガイウス・プリニウス・セクンドゥスの「博物誌」、司馬遷の「史記 表 巻十五 六國年表第三」に彗星が観測された記述があります。これらは紀元前467年に相当しますが軌道計算によるハレー彗星の出現時期と異なるためこの記述にある彗星がハレー彗星とは確定できませんでした。

 司馬遷の「史記 本記 巻六 第6 秦始皇本紀」には「七年、彗星先出東方、見北方、五月見西方。將軍驁死。以攻龍、孤、慶都,還兵攻汲。彗星復見西方十六日。夏太后死。」とあります。彗星だけ抜粋すると「七年に彗星が東に見え、その後北に見え、5月には西方に見えた。彗星は再び16日間西方に見えた」となります。秦始皇が即位したのは紀元前247年ですから、七年は紀元前240年を示します。ハレー彗星の軌道積算によると紀元前240年はハレー彗星が地球に最接近した年です。計算された軌道によると記録にある通り最初は東方から西方で観測されますがその後、太陽に接近して見えなくなり、近日点を通過後は再び観測可能となります。こうしたことから、ハレー彗星の出現を記録したもっとも確実な記録は紀元前240年に記されたものとされています。

【関連記事】

地球がハレー彗星の尾の外側を通過(1910年5月19日)

ハレー彗星が近日点を通過(1986月2月9日)

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2022年5月24日 (火)

亀の手を食べる

 亀の手って食べたことあります?

 下の写真は屋久島空港の食堂で食べた亀の手です。ゆでた亀の手が山もりででてきました。

茹でた亀の手
茹でた亀の手

 ひとつ取り出して撮影したのがこれです。爪がしっかりしています。

カメノテ
カメノテ

 さて、この亀の手ですが、これは亀の手に似ている甲殻類の動物で、フジツボの仲間です。姿はだいぶ違いますがカニやエビも甲殻類です。亀の手に似ているのでカメノテ(亀の手)と呼ばます。決して亀さんの手ではありません。タカノツメと呼ばれることもあるそうです。

 さっそく戴いてみました。カメノテの左側の爪の部分がツボミのようになっていてパカッと簡単に割れます。

3

 中の身を引っ張り出して食べます。強い磯の臭いがします。味はカニの足を食べるときよく足の先の方を殻ごとしゃぶっるときがあると思いますがそのときの味によく似ています。

 ゆでて食べるのも美味しいですが、味噌汁などの具にしても美味です。

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2022年5月23日 (月)

【おもしろ映像】ビリヤードをするロボットと犬

 ビリヤードは白い手玉をキューで突き色のついた的玉に衝突させて他の色のついた玉をポケットに落としていくゲームです。手玉と的玉で他のボールをどのように落としていくかを予想する必要があります。手玉と色のついた玉の位置関係は次々と変わっていきますが、それを予想することができたら効率的にゲームを進められるはずです。

 たくさんの選択肢の中からどのようにゲームを進めていくか?こうした予想は人間よりもAIが得意でしょう。ということで作られたのがビリヤード・ロボットです。展開を考えながら手玉で正確に的玉を狙い他の玉をポケットに落としていきます。さすがロボットです。

Playing Pool with a Dual-Armed Robot

 ロボットが一生懸命予想しながらやっているビリヤードですが、これをあっさりとやってのけてしまう輩がいます。

 それはビリヤード・ワンちゃんです。

 ワンちゃんの一投目。なんだ外れかと思いきや・・・

HALO THE POOL PLAYING DOG

次々とボールを落としていきます。こりゃ脱帽ですな。

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2022年5月22日 (日)

マイクロソフト社Windows 3.0を発表(1990年5月22日) 

 1980年代のパソコンは一回の起動でひとつのソフトウェアしか動かすことができませんでした。フロッピーディスクというソフトウェアの入ったディスクを使ってパソコンを起動すると、パソコンがそのソフトウェアの機能を持つ道具となるわけです。

 やがてソフトウェアを動かすOSとしてデジタルリサーチ社のCP/Mやマイクロソフト社のMS-DOSが広く使われるようになりました。OS上でソフトウェアが稼働するようになると複数のソフトウェアをフロッピーディスクに記録することができるようになりました。つまりパソコンを1回起動するだけで複数のソフトウェアを動かすことができるようになりました。もちろん複数のソフトウェアが同時に動くというわけではありません。別のソフトウェアを動かすためには動いているソフトウェアを終了し、コマンドを入力して別のソフトウェアを起動する必要がありました。この頃のパソコンは比較的パソコンに詳しい人しか使いこなすことはできませんでした。

 1980年代後半にハードディスクが一般化するとパソコンはハードディスクに記録されたOSから立ち上がるようになりました。数十メガバイトの容量をもつハードディスクにはたくさんのソフトウェアを記録することができるようになりました。この頃になるとIBMにPC-DOSとして採用されたMS-DOSが主流となりました。

 ハーディスクにたくさんのソフトウェアを記録できるようになると後にラウンチャーというソフトウェアを起動するためのソフトウェアが使われるようになりました。パソコンが起動するとラウンチャーが立ち上がり、ハードディスクに保存されているソフトウェアのメニューが表示されます。そのメニューを矢印キーで操作して使用したいソフトウェアを選び起動します。ソフトウェアを終了すると再びラウンチャーが画面が表示されます。後にマウスが登場するとマウスでラウンチャーを操作できるようになりました。ラウンチャーによって多くの人がパソコンを使えるようになりました。しかしながら、同時に複数のプログラムを使うことはできなかったのです。

 当時1台のコンピュータで複数のプログラムを同時に動かすことができるシステムは存在していました。現在のようにマウスとキーボードで画面を操作しマルチウィンドウで複数のプログラムを動かすことができるシステムは米国のダグラス・エンゲルハートによって発明されたものです。マウスの発明者としても知られるエンゲルハートは1968年に次世代のコンピュータシステムについて発表していますが、これが現在のウインドウシステムの原型となっています。

 いち早くウィンドウシステムを採用したのはUNIXシステムです。1980年代後半にサンマイクロシステムズのSuntools(SunView)やマサチューセッツ工科大学が開発したX Windowを使った経験がありますが誰もが気軽に使えるものでもありませんでした。

 パーソナルコンピュータで稼働する最初のウィンドウシステムで有名なのは1984年に登場したAppleのマッキントッシュのOSですが、ウィンドウシステムが多くの人に知られるようになったきっかけはマイクロソフト社のWindowsでしょう。

 最初のWindows 1.0は1985年11月20日にリリースされましたが宣伝の割には作動するプログラムも限られていたため評判はよくありませんでした。またウィンドウがオーバーラップ表示できず使いにくいという問題もありました。その後、IBMとマイクロソフト社が共同で開発したOS/2が注目されました。OS/2は本格的なプリエンプティブマルチタスクOSで1988年11月にリリースされたVersion 1.1ではプレゼンテーション・マネージャというGUIが搭載されていました。このプレゼンテーション・マネージャはウインドウをオーバラップ表示することができましたが、そのGUIとして採用されたのがWindows 2.0でした。1989年10月にOS/2 Version 1.2がリリースされると、マイクロソフトはOS/2の開発から手を引きWindowsの開発に注力するようになりました。以降のOS/2はIBMが単独で開発することになりました※。

 マイクロソフトはWindows 2.0を1987年12月にリリースしていましたがマルチタスクOSとしてはOS/2に劣っていました。当初はOS/2が優位に見えましたがMS-DOSとの互換性の高いWndowsが次第に多くのユーザーを獲得していきました。マイクロソフトの表計算ソフトウェアExcelも台頭しはじめ、当時よく使われてた表計算ソフトウェアLotus 123の市場を席巻していきました。

 マイクロソフトはWindows 2.xを大幅に改良したWindows 3.xの開発に着手しました。25人で編成されたWin3チームが2年半の歳月をかけて開発にあたり、1990年5月22日にWindows 3.0が公式に発表されました。日本では1991年1月23日にNECのPC9800シリーズ用の発売が始まり、その後多くのパソコンメーカーがWindows 3.0を採用しました。

 次の写真は自宅の本棚から出てきた東芝のWindows 3.0のカタログです。

Windows 3.0のカタログ(東芝)
Windows 3.0のカタログ(東芝)

 Windows 3.0はMS-DOS上で稼働するため本格的なマルチタスクOSではなくノンプリエンプティブ・マルチタスクOSでしたが複数のソフトウェアを同時に起動して利用できるウィンドウシステムになりました。GUIも大幅に改善されパソコンが使いやすくなり、Windows 3.xで稼働するアプリケーションが増えていきパソコン用OSとして市場を拡大していきました。そして1992年に使いやすさや機能を向上しながらより安定的に稼働するWindows 3.1がリリースされると、Windowsがパソコン用OSとして不動の地位を確立していくすきっかけを作りました。

 当時はインターネットよりもパソコン通信が主流で自分はニフティサーブを利用していました。パソコンのRS232C端子にモデルを取り付けパソコン通信を行い、ニフティサーブのフォーラムに参加しました。やがてインターネットが利用できるようになりましたが、Windows 3.1にはインターネット接続環境(WinSock)が存在していませんでした。雑誌に付録としてついてた「Trumpet Winsock」や「Internet Chameleon 」を自分でインストールしモデム接続でインターネットを楽しみました。当時の回線速度はわずか14,400 bpsでした。

※本格的なマルチタスクOSでOS/2バージョン2でWindows 3.0互換環境でGUIもしっかりしていましたがMS-DOSとの互換性や稼働するアプリケーションが少ないことなどが原因で2002年に最終バージョンをリリースし2006年にサポートを終了しました。

【関連記事】

マウスの特許公開(1970年11月17日)

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