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生成AI(Microsoft Copilot)で画像の修正とカラー化を実行してみました。サンプルに使ったのは次の南極観測船ふじの写真です。
まずはこの写真から人を消してもらいました。海上自衛隊艦番号の5001が人で隠れているので背後の数字は5001であることを教えました。生成AIが修正した画像は次の通りです。人が消えました。写真の失われた部分が綺麗に補われています。
次にカラー化してもらいました。カラー化にあたって南極観測船ふじのカラー写真を見せました。生成AIがカラー化した画像は次の通りです。「ふじ」の文字が少し異なっていたり、船体のラインが消えたりしていますが、綺麗なカラー写真が得られました。
生成AIを利用するとこのように白黒写真を修正しさらにカラー化することができます。作業の過程でおかしな結果が出てくる場合があります。この場合、それまでの過程で生成された満足できる生成画像を改めて見せて、そこからリクエストを出すと意図する修正を続けることができます。
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日本史の謎検証委員会 (編集)
幕末から明治初頭の史実に関する常識を覆す34の新説を図解で紹介した本です。事件・戦争・社会文化の3つのテーマから通説の裏に隠された真相を解説します。解説文も読み応えがあり当時の多くの写真や資料が掲載されています。幕末・明治の歴史を再確認することができます。
「江戸の庶民は黒船に興味津々だった」「薩英戦争で薩摩藩はイギリスに善戦した」「新選組は早くから洋式の装備を導入していた」「日本の水道網や識字率は外国よりも優れていた」など、これまでの研究で明らかになった34の幕末史の新説を紹介。事件、戦争、社会・文化というテーマから、図版を用いて幕末の真相を読み解いた一冊。
目次
第1章 事件に関するウソ
黒船に関するウソ、開国に関するウソ、砲艦外交に関するウソ その他
第2章 戦争に関するウソ
薩英戦争に関するウソ、奇兵隊に関するウソ、新選組の武器に関するウソ その他
第3章 社会・文化に関するウソ
社会インフラに関するウソ、工業に関するウソ、植民地化に関するウソ その他
登録情報
出版社 : 彩図社 (2022/10/27)
発売日 : 2022/10/27
言語 : 日本語
単行本(ソフトカバー) : 80ページ
ISBN-10 : 4801306306
ISBN-13 : 978-4801306301
寸法 : 26 x 18.4 x 0.7 cm
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日本の政治の殿堂として東京都千代田区永田町一丁目7番1号に佇んでいる国会議事堂。中央塔の左側に衆議院、右側に参議院の議場が左右対称に配置された荘厳な建造物です。
明治14年(1881年)10月12日、明治天皇は明治23年(1890年)までに「國會」(議会)を開くよう国会開設の勅諭を発せられました。明治18年(1885年)に第一次伊東内閣が発足すると国会議事堂の建設が構想されました。しかしながら、議事堂の建設には巨額な費用がかかり、帝国議会を開くことを優先するため仮議事堂が建設されることになりました。
本格的な議事堂建設が決まったのは日露戦争後の明治39年(1906年)ですが大正2年(1913年)に大正政変が起きたため見送られました。大正7年(1918年)に議事堂のデザインが一般公募され宮内省(現 宮内庁)技手の渡辺福三の案が採用されました。
実際の設計は大蔵省(現 財務省)臨時議院建築局により行われ、渡辺の図案を参考にしつつも大幅に変更されたデザインとなりました。鉄骨鉄筋コンクリート造、地上3階(中央会は4階)、地下1階建、資材は国産で賄う方針から全国各地から花崗岩が取り寄せられることになりました。大正9年(1920年)1月30日に当時の原内閣総理大臣をはじめとする閣僚が参列し永田町の高台において起工式が執り行われました。
国会議事堂は建設工事は大規模となり長期間を要しました。大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災により耐震構造と防火対策が見直されました。起工から17年の歳月を経た昭和11年(1936年)11月7日、当時の広田弘毅内閣総理大臣をはじめとする約3000名が集まる中で竣工式が執り行われました。
国会議事堂の総工費は約2,573万円で現在の価値にすると数千億円になります。資材として国産の鉄骨約1万5000トン、花崗岩2万5000トン、37種類の大理石が使用されました。国会議事堂のシンボルでもある中央塔は4階建で高さは65.45メートルです。当時の日本では最も高層の建造物となりました。この中央塔を挟んで左側が衆議院、右側が貴族院(現 参議院)が配置されました。
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KISSの「激しい愛を(C'MON AND LOVE ME)」のシングルレコードが家にあったはずと思って探してみたらすぐに出てきました。B面には「ゲッタ・ウェイ(GETAWAY)」が収録されています。オークションでもそこそこの値がついているみたいです。
ジャケットの裏側です。左側に解説、右側に「激しい愛を」の歌詞が掲載されています。左下には、「KISSのF・Cに入会しよう」という宣伝が入っています。連絡先は2人の個人名になっています。未だKISS ARMY JAPANではありません。
KISSのレコードは当初はビクター音楽産業株式会社から発売されていました。後にポリスターになりますが、このシングルはビクターから発売されたものです。
A面「激しい愛を(C'MON AND LOVE ME)」、B面「ゲッタ・ウェイ(GETAWAY)」、どちらも1975年に発売された「地獄への接吻(Dressed to Kill)」(Amazon.co.jp)に収録された曲です。
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昭和60年(1985年)11月2日、プロ野球の日本シリーズ第6戦が西武ライオンズ球場で行われ、セ・リーグを圧倒的な強さで優勝した阪神タイガースがパ・リーグの優勝チームの西武ライオンズを9対3で破り日本一に輝きました。
阪神タイガースは甲子園球場を本拠地とする株式会社大阪野球倶楽部の大阪タイガースとして1935年に創設されました。
【参考】プロ野球の日(1936年2月5日)
戦前の1リーグ制のプロ野球では1937年秋、1938年春、1944年、1947年に優勝を果たしています。2リーグ制になってからは1962年と1964年にセントラルリーグで優勝していますが、その後は優勝の機会がありませんでした。
1985年の阪神タイガースは吉田義男監督のもと圧倒的な打撃力を有するチームで挑みました。同年4月17日には3番ランディ・バース、4番掛布雅之、5番岡田彰布が伝説の「バックスクリーン3連発」を放ち勢いづいたチームは勝ち続け首位を独走していましたが、日本航空123便墜落事故で球団社長が犠牲となり選手たちも1便前の飛行機に乗り合わせていたことから大きなショックを受けて連敗し首位から脱落してしまいました。しかし打撃力に加えてリリーフ投手陣の活躍により再び首位を奪還し同年10月16日に1964年以来21年ぶりのリーグ優勝を果たしました。
同日夜、阪神タイガース優勝に狂喜した一部のファンたちが次々と道頓堀に飛び込み、そしてケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダース像を道頓堀川に投げ入れるという事件が発生しました。その後、阪神タイガースが優勝の機会がなかったことからこの事件は「カーネル・サンダースの呪い」という都市伝説になりましたが、阪神タイガースは2003年にセ・リーグ優勝を果たしています。カーネル・サンダース像は平成21年(2009年)3月10日に発見さています。
日本シリーズに進んだ阪神タイガースは同年11月2日に4勝2敗で西武ライオンズに勝利、1リーグ時代からは38年ぶり、2リーグ時代としては初の日本一に輝きました。この阪神タイガースの優勝でセ・リーグ全球団が日本一となりました。この阪神タイガースの優勝を記念し、阪神タイガース後援会などによって阪神タイガース記念日が制定されました。
さて打者として大活躍したランディー・バース選手は最高殊勲選手賞を受賞しました。阪神タイガース記念日11月2日と同じ2004年11月2日にオクラホマ州議会上院議員選挙に勝利し同州上院議員に就任しています。
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