ようこそ!「夜明け前」へ

日々の思いを、風の吹くまま気の向くままに綴ったブログです。

コンテンツはサイト内検索が可能です。




プライバシーポリシー

ココログピックアップで紹介されました(2020年10月23日)

Photo_20201023111301

【関連サイト】

 

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2025年1月13日 (月)

北海道ユルリ島の野生馬

ココログ「夜明け前」公式サイトで読む

 北海道根室市昆布盛の南東約2.6 kmに無人島のユルリ島があります。ユルリ島の周囲は約7.8 km、海抜43.1 mの断崖に囲まれた島です。面積は約200ヘクタールで東京ドーム約43個分の広さです。ユルリ島は古くから船の泊地として利用され昆布漁が行われていました。江戸時代には高田屋嘉兵衛が航行の安全を祈る金刀比羅神社を創祀しています。

Photo_20250111140101
ユルリ島の航空写真
Copyright © 地図・空中写真閲覧サービス 国土地理院
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=126486779

 島名のユルリ(ウリル)はアイヌ語で「鵜の居る島」という意味です。ユルリ島は名前の通りエトピリカ、チシマウガラス、ケイマフリなどの海鳥の繁殖地になっています。また島の中央部には希少な植物がたくさん生息しています。昭和38年(1963年)に北海道により天然記念物に指定されましたが当時は人の立ち入りや居住に制限はありませんでした。現在は人の立ち入りは禁止されています。

 ユルリ頭にはかつて多くの野生馬が生息していました。大正時代に馬の放牧がされるようになりましたが第二次世界大戦により放牧は行われなくなりました。現在、ユルリ島に生息している野生馬の祖先は戦後の昭和20年代に昆布漁のために輸送手段として北海道から持ち込まれた馬です。昭和40年代に島民が島を離れたときに放牧されると、馬たちは水や餌が豊富なユルリ島で自然繁殖しながら野生化していきました。

北海道ユルリ島の野生馬
北海道ユルリ島の野生馬

 1990年代初めには約30頭の野生馬が生息していました。定期的に種牡馬が持ち込まれていましたが2000年代に入ると種牡馬の持ち込みができなくなりました。牝馬しかいないため繁殖ができなくなりました。2017年にはわずか3頭の牝馬が確認されていますが、ユルリ島の野生馬はいずれ消えゆく運命にあります。YouTubeにユルリ島の映像がありました。野生馬の群れ疾走する姿が映っています。

ユルリ島

ユルリ島は北海道根室市昆布盛の南東約2.6km(北緯43度12分、東経145度35)にあります(Google Map)。

 

ココログ夜明け前|Googleニュース

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

Amazonアソシエイトとしてブログ「夜明け前」は適格販売により収入を得ています。

プライバシーポリシー

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2025年1月12日 (日)

迷探偵 温泉でウルトラセブンを歌うおじさんの正体は

ココログ「夜明け前」公式サイトで読む

 いつも行く温泉の常連のおじさん。このおじさんは本当に良く会うのですっかり顔なじみになりました。年を聞いてみると70歳だそうです。見た感じは60代前半に見えます。

 いつもと同じように湯船につかっていたら、そのおじさんが「よ~」と言って入ってきました。さあ、始まるぞと思っていたら、期待通りいつものように演歌を小声で歌い始めました。これがなかなか上手です。そのうち、あれこれ考え事をしていたら、おじさんの歌声が耳に入らなくなりました。おじさんは相変わらず歌っているので、音としては聞こえている状態です。

 すると自分の頭の中にウルトラセブンの主題歌が流れてきました。流れたのは「倒せ火を吐く大怪獣、ウルトラビームでストライク!」の部分です。

迷探偵 温泉でウルトラセブンを歌うおじさんの正体は

 脳内再生かと思ったら突然おじさんの声が聞こえてきました。なんと、おじさんが歌っているのはウルトラセブンの主題歌でした。「遙かな星がふるさとだ」の部分を「ふぅぁ~るくぁな星ぐぁ~、うぅるぅさぁとぉだぁ~」とこぶしを回しながら歌っています。さらに「進め銀河の果てまでも」の部分や歌詞のわからない部分は鼻歌で歌っています。

 自分もウルトラセブンの歌が頭に流れていたので、この偶然にびっくり。おじさんに「ウルトラセブンですか?」と聞いたら、おじさんはちょっと照れた顔をして「そうそう、よく知っているねぇ」と。「よく知っているねぇ」はこちらの言うことです(^^ゞ

 なんで、このおじさんはウルトラセブンの主題歌や曲を知っているのだろうと思ったら、その疑問も通じたのか、おじさんがぼそっと一言。

 「何度も聞いているので耳についちゃってさぁ~」

 自分が「えっ?」という顔をすると、おじさんは、手首を回して、「これこれ」と。

 そうおじさんはパチンコウルトラセブンの大ファンだったのです。そして、「狙われた街」などのタイトルや「メトロン星人」など宇宙人や怪獣の名前もよく知っているのです。そして、「ウルトラマンの歌も知っているよ」と。

 すると、そのまた横にいた常連のおじさんが声をかけてきてウルトラセブンのパチンコ台の話になりました。温泉で大人3人がウルトラセブンの話をしているというシーンになってしまいました。

CRぱちんこウルトラセブン 紹介ムービー

 

ココログ夜明け前|Googleニュース

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

Amazonアソシエイトとしてブログ「夜明け前」は適格販売により収入を得ています。

プライバシーポリシー

| | | トラックバック (0)

2025年1月11日 (土)

アムールトラ|ネコ科ヒョウ亜科ヒョウ属

ココログ「夜明け前」公式サイトで読む

 トラはネコ科ヒョウ亜科ヒョウ属に分類される食肉類の動物です。ヒョウ属にはトラの他にヒョウ、ライオン、ジャガー、ユキヒョウがいます。ネコ科の猛獣といえば他にピューマ(マウンテンライオン)やチーターがいますこれらはネコ亜科でヒョウ亜科ではありません。

 トラにはベンガルトラやアムールトラなどいろいろな種類がありますが全て亜種です。アムールトラはトラの仲間で最も大きいトラで雄では体長2.5 m、体重300 kgに達すします。しかしながら最近は生息地域の餌不足により十分に成長できずベンガルドラより小型化しているという報告もあります。

 アムールトラはロシアと中国の間に流れるアムール川の周辺に生息していることからアムールトラと名付けられました。シベリアトラとも呼ばれるようにトラの中でも最も北方に生息いるトラです。またかつては朝鮮半島にも生息していることからチョウセントラとも呼ばれますが現在も朝鮮半島にアムールトラが生息しているかどうかはわかっていません。加藤清正が朝鮮出兵の際にトラ退治をしたという逸話がありますがこのトラはアムールトラでしょう。

 次の写真は多摩動物園で撮影したアムールトラです。

アムールトラ
アムールトラ

 横を向いたので撮影。横顔も精悍な顔つきをしています。

アムールトラ(横顔)
アムールトラ(横顔)

 でも警戒が不要な動物園ではトラといえども基本的には猫なのでこうなってしまいます(^^ゞ

アムールトラの居眠り
アムールトラの居眠り

【関連記事】

虎耳状斑(こじじょうはん)|虎の耳の裏の模様

ライオンの裏の耳にも模様

「虎の威を借る狐」はお馬鹿さんな虎のお話だった?

ココログ夜明け前|Googleニュース

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

Amazonアソシエイトとしてブログ「夜明け前」は適格販売により収入を得ています。

プライバシーポリシー

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2025年1月10日 (金)

【懐かしのゲーム】フロントライン(1982年11月)

ココログ「夜明け前」公式サイトで読む

 「フロントライン」(FRONT LINE) は1982年11月にタイトーがリリースしたシューティングゲームです。ジョイスティック、ダイヤルスイッチ、ボタンを使って歩兵・装甲車・戦車を操作しながら敵地に侵入し最終地点の敵司令部を破壊するとステージクリアとなります。

フロントライン(歩兵ゾーン)
フロントライン(歩兵ゾーン)

 ジョイスティックは歩兵・装甲車・戦車の移動に使います。ダイヤルスイッチを回すと歩兵の銃と手榴弾、装甲車・戦車の砲を撃つ方向を決めることができます。ダイヤルスイッチを押し込むと銃弾や砲弾を定めた方向に発射することができます。ボタンを押すと歩兵がダイヤルスイッチで定めた方向に手榴弾を投げます。また歩兵が自軍の装甲車・戦車に乗降するときに使います。

 歩兵ゾーンを抜けると戦車ゾーンになります。青い自軍の装甲車や戦車に乗り込んで戦いながら先へ進みます。

フロントライン(戦車ゾーン)
フロントライン(戦車ゾーン)

 さらに進んでいくと敵指令部との決戦になります。指令部を破壊すると敵兵が白旗を掲げて出てきます。

フロントライン(敵司令部と最終決戦)
フロントライン(敵司令部と最終決戦)

 当時、ゲームセンターでよくやりました。慣れるまでは歩兵ゾーンも難しくなかなか先に進むことができませんでした。上手になるまでにはずいぶんお金を使ったと思います(^^ゞ

フロントライン FRONT LINE [AC] 1983 TAITO アーケード

【関連記事】

【懐かしのゲーム】フロントライン(1982年11月)

【懐かしのゲーム】ハングオン(1985年7月)

【懐かしのゲーム】スペース・ハリアー(1985年12月)

【懐かしのゲーム】アウトラン(1986年9月)

【懐かしのゲーム】アフターバーナー(1987年7月)

 

ココログ夜明け前|Googleニュース

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

Amazonアソシエイトとしてブログ「夜明け前」は適格販売により収入を得ています。

プライバシーポリシー

| | | コメント (0)

2025年1月 9日 (木)

睦仁親王(明治天皇)が践祚(1867年1月9日)

ココログ「夜明け前」公式サイトで読む

 第121代天皇の孝明天皇の第一皇子は孝明天皇の典侍の坊城伸子との間の子の妙香華院でした。坊城伸子は懐妊後に病気にかかり、妙香華院は生まれた当日に母とともに病死しました。孝明天皇の第二皇子は嘉永5年(1852年)9月22日(1852年11月3日)に公家の公家中山忠能の娘で典侍だった中山慶子との間に生まれた祐宮(さちのみや)です。祐宮は光格天皇の幼名と同じであり、孝明天皇は自分の唯一の皇子に期待していました。

束帯姿の明治天皇
束帯姿の明治天皇

 しかしながら中山家は天皇の正室になれる五摂家ではなかったため祐宮の皇位継承は確定的なものではありませんでした。また孝明天皇の正室は九条尚忠の娘である九条夙子(英照皇太后)であり正室との間に息子が生まれればその子が天皇を継承するのが筋でした。さらに孝明天皇の父の仁孝天皇は有栖川宮幟仁親王、有栖川宮熾仁親王、伏見宮貞教親王に親王宣下を与えていました。ですから正室に子が生まれなくても祐宮が親王になれなければ3人のうち1人が皇位継承することになります。

 祐宮は前例にならって幼少時は母の実家の中川邸で育てられ祖父の中山忠能が父親代わりとなりました。母の中山慶子は宮中にいたため祖母の中山愛子や忠能の母の中山綱子が母親代わりとなりました。公家の中川家は尊皇攘夷派で祐宮は中川家での養育で大きな影響を受けました。

 安政3年(1856年) 9月22日に祐宮は4歳となり御所に戻ることになりました。祐宮は同年9月29日から宮中で暮らすようになりましたが中山家に愛着を持っており環境変化に慣れるまで精神的に不安定な状態となりました。祐宮が親王となるためには周囲からの理解も必要です。孝明天皇は祐宮を親王とするべく宮中行事を見せるなど教育をしながら大切に育てました。祐宮もすくすくと育ちました。

 万延元年(1860年)7月10日、祐宮は勅命により准后九条夙子の実子として儲君となりました。同年9月22日に8歳を迎え、同年9月28日に親王宣下の儀式が行われ諱は 睦仁(むつひと)としました。その後、睦仁親王は天皇となるためさまざまな教育を受けました。

 孝明天皇は幕末に徳川家と公武合体による攘夷をめざし、慶応元年(1865年)9月21日に第14代将軍の徳川家茂の奏上により第二次長州征討
を勅命しました。長州再征は慶応2年(1866年)6月7日に開始されました。同年7月20日、家茂は第二次長州征伐の最中に大阪城で病死し、徳川慶喜が第15代将軍となりました。

 孝明天皇は同年12月11日から天然痘を患いました。病は峠を越したかのように見えましたが慶応2年(1866年)12月25日(1867年1月30日)に崩御しました。慶応3年(1867年)1月9日(1867年2月13日)、睦仁親王は14歳で践祚して122代天皇を継承しました。

聖徳記念絵画館壁画『践祚』(川崎小虎画、池田宣政侯爵奉納)
聖徳記念絵画館壁画『践祚』(川崎小虎画、池田宣政侯爵奉納)

 幕府による第二次長州征伐は失敗に終わり同年1月19日に第二次長州征討の解除を命じる勅命が出されました。禁門の変で長州藩を支持して蟄居させられていた中川忠能や有栖川宮熾仁親王など許しましました。これによって公武合体派の孝明天皇の庇護を受けていた幕府の権威は失墜しました。天皇の権威は高まり倒幕派の長州藩と薩摩藩が台頭するようになりました。やがて戊辰戦争が勃発し日本は混乱の時代を迎えるのです。

【関連記事】

廷臣八十八卿列参事件(1858年3月12日)

攘夷実行に従い長州藩が米国商船を砲撃(1863年5月10日)

八月十八日の政変(1863年8月18日)

禁門の変(蛤御門の変)勃発(1864年7月19日)

薩長同盟(1866年1月21日)

孝明天皇祭(1867年1月30日)

王政復古の大号令で明治政府樹立(1867年12月9日)

薩摩藩と長州藩に討幕の密勅が下される(1867年10月14日)

戊辰戦争(鳥羽伏見の戦)の開戦(1868年1月3日)

明治天皇の即位の礼(1868年8月27日)

明治時代が始まる(1868年9月8日)

明治天皇の1度目の東京行幸(1868年10月13日)

あんぱんの日(1875年4月4日)

明治天皇が崩御(1912年7月29日)

大正時代始まる(1912年7月30日)

昭和改元の日(1926年12月25日)

「平成」の世が始まる(1989年1月8日)

 

ココログ夜明け前|Googleニュース

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

Amazonアソシエイトとしてブログ「夜明け前」は適格販売により収入を得ています。

プライバシーポリシー

| | | コメント (0)

«【おもしろ映像】猫のジョーズ