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ニイニイゼミはカメムシ目セミ科ニイニイゼミ属の昆虫です。日本の夏の始まりを告げる身近な存在のセミです。成長の体長は20~24ミリメートルです。翅を含めても30~40ミリメートルでやや小型のセミです。体色は黒褐色で全身に斑紋があり保護色にもなっています。体型は他のセミに比べてやや丸っこい形をしています。和名の由来には諸説ありますが、鳴き声が「ニイニイ」に聞こえるからとも、羽の模様が新しい衣装(新衣)のように見えることからとも言われています。
ニイニイゼミは北海道から九州まで日本全国に分布しています。主に平地から低山地にかけて生息しています。都市部の公園、街路樹、住宅地の庭などでもよく見られます。他のセミに比べて乾燥への耐性が強く多種類の樹木に対応可能なため都市環境にも適応しやすくなっていると考えられ近年は個体数が増えています。地域によって異なりますが6月下旬から9月上旬までが活動の時期です。気温が高くなる午前中や夕方に鳴き声が盛んになります。鳴き声は「チー」「ジー」といった金属的な音です。名前の由来のニイニイには聞こえません。
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1909年、材木会社の社長を努めていたウィリアム・エドワード・ボーイングはワシントン州シアトルに旅行したときに初めて飛行機を見て航空機に魅せられた。ボーイングは友人の海軍技師ジョージ・コンラッド・ウェスターベルトと航空機を共同開発することにしました。
ボーイングとウエスターバレットは水上飛行機B&Wシープレーン(ボーイングモデル1)を共同開発し、1916年7月15日に2人のイニシャルをを社名とした航空機製造会社「B&W」を設立しました。
B&W社は設立後間もなく社名をパシフィック・エアロ・プロダクツ社に変更しました。同年、ウェスターベルトは海軍から西海岸へ転勤を命じられたため同社を退職しました。ボーイングは翌1917年に社名をボーイング航空機株式会社と改名しました。当時、第一次世界大戦中であり海軍は練習機としてボーイング社の双フロート複葉単発機モデルCを採用、ボーイング社は約700機を納入し航空機メーカーとしての地位を築きました。しかし1918年に第一次世界大戦が終了すると軍用機の需要はなくなりました。当時は旅客輸送の需要はありませんでした。一方で郵便事業の航空郵の需要が高まったことから、ボーイング社はアメリカのシアトルとカナダのバンクーバーの間で世界初の国際航空郵便業務を始めました。
1920年代になると再び軍用機の需要が高まりボーイング社は戦闘機メーカーのリーディングカンパニーとなりました。しかし民間の輸送機や旅客機の需要は十分ではなく航空機産業の将来は決して楽観できるものでありませんでした。ボーイング社は航空郵便のビジネスを続け1927年にボーイング・エラー・トランスポート社を設立しました。
1933年、ボーイング社は金属製で低翼・単葉・引き込み脚を採用した当時としては画期的な旅客機ボーイング247を開発しました。ボーイング247は巡航速度300 km/hでアメリカ大陸を8時間で横断することができたことから多くのアメリカの航空会社がボーイング247を採用しました。こうして民間航空機時代の幕が開けたのです。
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江戸時代は徳川将軍を中心とした幕府が全国の大名を支配する幕藩体制を敷いていました。幕末には270~300の藩が存在していました。それぞれの藩の運用は藩主の大名に任されていました。黒船来航により江戸幕府の求心力が失われると幕藩体制が崩れはじめ幕末の動乱と明治維新へ繋がっていきました。
明治政府は近代国家建設のためにはこの封建的かつ分権的な幕藩体制を廃し中央政府により統一された支配体制を築く必要があると考えました。これによって国内の分裂を解消して行政・軍事・税制を一元化した中央集権国家を確立し欧米列強に対応する狙いがありました。しかしながら、早急な幕藩体制の廃止は混乱を生じさせるため新政府は各藩の版籍(土地と人民)を朝廷に返上する版籍奉還を行い藩主を知藩事に任命し権限を徐々に制限していきました。そして明治4年(1871年)暦7月14日、明治政府は藩を完全に廃止し、新たに府と県を設置する廃藩置県をおこないました。
廃藩置県により元藩主は知事藩を解任され東京への移住が命じられました。新政府は各府県に知事を新たに任命し地方行政を中央政府の支配下に置きました。廃藩置県により中央集権国家の確立し日本の近代化が促進されました。従来の身分制度は廃止されましたが、特権が失われた武士に不平不満が募り各地で反乱が起きました。一連の反乱は西南戦争で終焉しましたが西郷隆盛をはじめとする優秀な人材を失うことにもなりました。
廃藩置県後は府県は約300ありましたが廃止・統合・復活などが繰り返されていきました。
明治4年(1871年)11月には全国的な統廃合により75府県となり、明治21年(1888)年12月には45府県となりました。これに北海道と沖縄県が加えられ47道府県となったのは明治22年(1889年)1月です。現在の47都道府県の枠組みが出来上がりました。
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ナヌカザメ(七日鮫)はメジロザメ目トラザメ科ナヌカザメ属のサメです。日本の北海道や黄海から台湾の南部にかけて分布し、水深90~200メートルの大陸棚の岩礁に生息しています。体は太く大きな口を持ち大きな個体は約1.4メートルまで成長します。夜行性で岩礁や砂地に身をひそめ小型魚類や頭足類、甲殻類などを捕食します。共食いも確認されています。外敵に遭遇すると体内に海水を吸い込み体を膨らませて防御します。自身を大きく見せるのと同時に岩の隙間に体を密着させることにより引きずり出されないようにします。ナヌカザメの名前は生命力は強く陸に上げても七日間生き続けることに由来します。
ナヌカザメは卵生で「人魚の財布」と呼ばれる半透明の袋状の固い殻の卵を産みます。両端の巻き毛のような突起により海藻や岩などに絡みつくことで固定されます。孵化にはおよそ1年かかり成魚の姿のなって誕生します。産卵期などはなく繁殖は一年を通じて行われます。昔の人は海岸に打ち上がげられたナヌカザメが生まれた後の卵殻を見て「人魚の財布」と考えました。
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セイヨウオトギリソウはオトギリソウ科オトギリソウ属の多年草です。英語では「セント・ジョーンズ・ワート」と呼ばれます。英名は聖ヨハネの誕生日である6月24日頃に花を咲かせることに由来します。原産地はヨーロッパ、アジア西部から中部、北アフリカですが、日当たりの良い乾燥した草地や荒れ地などに自生します。現在は世界各地に帰化しています。
セイヨウオトギリソウ高さ30cmから1メートルほどに成長します。花期は初夏から夏で鮮やかな黄色の花を咲かせます。花びらや葉には光にかざすと透けて見える細かな油点(油腺)が存在しています。
セイヨウオギリソウにはヒペリシンやハイパーフォリンが含まれ古くから鎮静、創傷の治療用のハーブとして利用されてきました。現在においてもサプリメントやハーブティーとして広く利用されています。ただし日本を含む多くの国では医薬品としては認可されておらず、効果や安全性については研究レベルです。
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