カテゴリー「今日は何の日」の26件の記事

2008年12月23日 (火)

東京タワー50周年

東京タワーが営業を開始してから50年を迎えました。

東京タワーは1957年6月29日着工、1958年12月23日完工式&営業開始です。

自分が東京タワーに行ったのは、おそらく数回です。1回目は子どもの頃で1970年代と思います。確かおじさんとおばさんに連れていってもらったと思います。2回目は友人と行ったのですがおそらく1980年代の終わり頃だと思います。大学生だった頃です。そして3回目は今から5年ほど前、姪を連れていきました。時代の流れを感じてしまいます。

映画三丁目の夕日では、東京タワーが作られてできあがっていく様子が描かれています。


50年という時代が流れても、そこにずっと佇んでいる東京タワー。地上デジタル放送が始まると、電波塔として役割はどんどん少なくなっていきます。観光収入だけでは賄えないので、撤去もあり得るということなのですが、戦後の日本復興のシンボルでもあるのですから、是非とも未来に残して欲しい施設です。

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2008年10月 1日 (水)

新幹線開業の日

 1964年(昭和39年)の10月1日、東京-新大阪を結ぶ東海道新幹線が開業しました。

 1950年代、東海道線本線は日本でもっとも重要な路線でしたが、その輸送能力は限界に達しており、輸送力を増強する必要に迫られていました。

 1957年に国鉄に新幹線調査会が設けられ、当時の国鉄総裁・十河信二と国鉄技師長・島秀雄は東京と大阪に超高速列車を走らせる計画を立案しました。

 十河信二と島秀雄は新幹線計画を実行に移すべく尽力し、1958年に新幹線建設計画が承認されました。

 1959年4月に静岡県の新丹那トンネルで起工式が行われ、1964年に開催される東京オリンピックに間に合わせるべく建設が急ピッチで進められました。総工費は3800億円もかかりました。

  東海道新幹線は1963年に試験運転を行われました。当時の列車の最高速度の世界記録255Km/hを超える時速256Km/hを記録しました。

 翌1964年10月1日に営業を開始、東京オリンピック開催のわずか10日前のことでした。

新幹線の建設工事は1959年の起工式からわずか5年で完了しました。最初の年は安全性を考慮して180Km/hで運転を行い、ひかり号は東京-新大阪を4時間で結びました。翌年には210Km/hで3時間10分となりました。1985年以降は車体の開発も進み、速度が向上していきました。現在、最も速いのぞみ号は東京-新大阪間を2時間30分で結んでいます。

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2008年8月25日 (月)

鉄砲伝来の日

 1543年8月25日、鹿児島県南方の種子島に1隻の中国船が暴雨風のため漂着しました。その船にはポルトガル人が乗っていました。

 そのポルトガル人は、日本人が今までに見たことのない鉄砲という武器をもっていました。種子島の島主である種子島時堯はそのポルトガル人から鉄砲を2挺購入しました。

 鉄砲の威力に驚いた時堯は、さっそく鉄砲を製造を命じました。ところが、弾丸はできたものの、ポルトガル人の鉄砲にはネジが使われていたため、鉄砲を造ることができませんでした。当時の日本にはネジがなかったのです。日本に初めてネジが伝来したのもこの時です。

 1544年、別の外国船にのってきた技術者に鉄砲の造り方を学んだ八板金兵衛清定が、日本製の鉄砲を初めて造りました。

 種子島時堯は鉄砲を鹿児島県の島津義久に献上しました。義久はさらに足利将軍に献上しました。このことがきっかけで滋賀県の国友村で鉄砲鍛冶が行われるようになりました。また、別のルートでも鉄砲は全国に広まっていったのです。

 ちょうどこの頃、室町幕府と朝廷の力が衰えた日本の社会は、群雄割拠の戦国時代へと入っていました。戦国武将の中でも、いち早く鉄砲に目を付けたのは織田信長でした。織田信長は1575年長篠の戦いで3000挺の鉄砲隊を編成し、武田信玄の子、勝頼が率いる武田軍の騎馬隊を撃破しました。鉄砲は天下統一をめざす戦国武将にとって有力な武器となりました。

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2008年8月21日 (木)

函館と天気予報の話

8月21日は日本の新聞に初めて予想天気図が掲載された日だそうです。1924年に国民新聞(1942年に東京新聞の前身である都新聞と合併)という日刊新聞に掲載されたそうです。

日本で初めて天気図が刊行されたのは1883年だそうですが、日本の気象観測の歴史は1871年7月に明治政府が工部省が東京の三角測量を始めたところから始まります。

工部省とは、鉄道、電信、灯台、造船、鉱山、製鉄などの事業を行っていた中央官庁組織です。このとき測量を任されたのはイギリス人のマクビーンという測量技師長と、ジョイネルという測量技師でした。ジョイネルは工部省に気象観測の重要性を主張し、工部省は1873年5月に日本で初めての気象台を設立することを決めました。

日本政府はイギリスのロンドン気象台に気象観測に必要な機材の調達を依頼するため、河野通信とマクビーンをロンドンに派遣しました。彼らはフランス人のシャーボーに機材調達を依頼、シャーボーは1年3ヶ月をかけて測量機材を調達し、1874年7月に日本にやってきました。

1875年5月に調達した気象機材の据え付けが完了しました。気象台は現在の東京都京都港区虎ノ門にありました。 そして、1875年6月1日、東京気象台で気象観測を開したのです。そして、6月1日が気象記念日と制定されました。

そうか、そうか、ということになるわけですが、函館出身者としては、ちょっと待って!ということになるのです。

日本で最初に気象観測所として気象観測が行っていたのは函館気候測量所、現在の函館海洋気象台です。このあたりの話については、函館海洋気象台の「日本で最初の気象台」というサイトに詳しく説明が出ていますが、観測が始まったのは1872年8月26日だそうです。これが日本で初めての気象観測所による気象観測なのです。

気象記念日は8月26日にするべきだ!と言ってみる・・・なぜ3年後の東京気象台の方が気象記念日なのだろう。

工部省が気象台を設立すると決めたのが1873年。その1年前にできている函館気候測量所。おそらく、気象台という位置づけではなかったのかな。北方開拓のために作られた開拓使という官庁が作ったのが函館気候測量所のようで、函館海洋気象台という名前になったのは1942年になってからのようです。

でも、日本で初めての観測所での気象観測ということであればやはり8.月26日ですね。

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2008年3月13日 (木)

青函トンネル営業開始

 青函トンネルは本州と北海道を結ぶ世界最長の海底トンネルです。トンネルの全長は53.85Kmで、始点の青森県東津軽郡今別町浜名から終点の北海道上磯郡知内町湯の里を結んでいます。トンネルの海底部分は長さ23.3Km、海面下140mの海底からさらに100m下を通り抜けています。

 青函トンネルの構想は第二次世界大戦前からありました。古くは1923年に阿部覺治という函館の海産物商人が函館市民に向けて函館の未来の姿を説いた「大函館論」の中に、そのアイデアが書かれています。その頃、すでに「日本全国縦貫弾丸列車構想」という日本列島4島を鉄道で結ぶ計画がありました。その計画のひとつであった関門トンネルは第二次世界大戦中に完成しています。

 青函トンネルの計画が具体的に進められるようになったのは第二次世界大戦後です。まず1946年に本州側と北海道側で地質調査が開始されました。しかし、終戦から間もない日本の社会では、このような巨大プロジェクトの実現はたいへん難しく、さらに詳しい調査は進めることができませんでした。

 1954年9月に青函連絡船「洞爺丸」が台風15号で沈没しました。タイタニック号の沈没につぐ大規模な海難事故になりました。この事故をきっかけに、青函トンネルの必要性が世論として高まり、調査が再開されました。そして、ついに1971年9月に起工式が行われ青函トンネルの本工事が開始されました。幾多の困難を乗り越えて、1985年3月に本坑が貫通、その3年後の1988年3月13日にJR津軽海峡線が営業を開始しました。青函トンネルが開通すると、それまで北海道と本州を結んでいた青函連絡船が廃止され、80年の長きにわたる青函連絡船の歴史の幕が閉じられました。

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2008年3月 3日 (月)

ロバート・フックのMicrographia

今日はフックの法則で有名なロバート・フックの命日です。彼は1653年7月18日生まれ、1703年3月3日が命日です。

ロバート・フックはレンズを2枚用いた複式顕微鏡でいろいろなものを観察しています。詳しくはロバート・フックの顕微鏡という記事を読んでください。

彼の顕微鏡の観察はMicrographiaという本にまとめられています。amazonでいろいろなタイプの本(ペーパーバック、ハードカバーなど)を購入することができます。

Micrographia

どんな本なのかざっと見たい人はGoogle Bookの検索で参照することができます。

Micrographiaの検索結果

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2008年2月 6日 (水)

消しゴムと酸素と炭酸水

 現在、私たちが使っている消しゴムは合成樹脂でできていますが、名前がそうであるように昔は天然ゴムから作られていました。

 天然ゴムはブラジル原産のゴムの木の樹液を固めたものです。古くは紀元前から使われていました。マヤ文明やアステカ文明では、天然ゴムで作ったボールを使って「トラチトリ」というフットボールに似たボール競技が行われていたそうです。

 1493年にコロンブスが第2回目の航海でジャマイカに立ち寄った際に、原住民が天然ゴムで作ったボールで遊んでいるところを発見したことで、天然ゴムがヨーロッパに伝わりました。

 しかし、その後約300年の間、天然ゴムは特に利用価値も見出されず、希少品として扱われるのみでした。天然ゴムが初めて道具として使われたのは1770年です。その頃、すでに鉛筆が発明されていましたが、鉛筆を消すのにパンが使われていたそうです。

 イギリスの科学者ジョゼフ・プリーストリーは天然ゴムを使うと鉛筆で書いたものを消せることに気がつき、1772年に消しゴムを作りました。この天然ゴムを使った消しゴムはあっという間に世界中に広まりました。ゴムのことを英語でRubberといいますが、これはrub out(文字を消す)という言葉が語源になっているそうです。

 プリーストリーは1774年(つまり消しゴムを作った2年後)に、酸化第二水銀(HgO)という物質を加熱したときに出てくる気体を使うと、ものをよく燃やすことができることに気がつきました。また、その気体の中でネズミを飼うと長生きすることにも気がつきました。プリーストリーはこのことをフランスの科学者ラヴォアジエに報告し、ラヴォアジエはこの気体を使ってものが燃える仕組みを解き明かし、この気体のことを酸素と名付けました。

 プリーストリーは1733年に生まれ、1804年の今日2月6日に亡くなりました。ということで、今日はプリーストリーの命日です。プリーストリーは酸素の発見で有名ですが、消しゴムの発明者でもあったわけです。また彼は炭酸水の発明もしています。

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2007年10月11日 (木)

HONDA CVCCエンジンを開発

 1970年、アメリカでひとつの法案が制定されました。その法案とは通称マスキー法と言われるもので、アメリカの民主党のマスキー上院議員が提案した大気清浄法でした。

 この法律は1975年からガソリン自動車が排出する一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物を当時の排出量の10分の1までに削減することという当時の自動車メーカーにとっては厳しい内容でした。そのような自動車を実現するのは非常に難しいと考えられたからです。実際、この法案によって、当時の米国の有名なスポーツカーが法律をクリアすることができず姿を消すことになりました。日本でも同じ法律が施行され、国産のスポーツカーが姿を消していきました。

 この厳しいマスキー法を世界で先駆けてクリアしたのは本田技研工業でした。ホンダは1969年に自社が販売している自動車に欠陥が見つかり、経営的に非常に厳しい状況にありましたが、F1レース参戦の経験で得た技術を駆使し、マスキー法をクリアする低公害エンジンの開発に取り組みました。

 ホンダの創始者であり当時の社長でもあった本田宗一郎は空冷エンジンでの実現に拘りましたが、空冷エンジンでマスキー法をクリアするのには無理がありました。若手の技術陣は水冷エンジンの採用を主張しましたが、本田宗一郎は頑として首を縦に振りませんでした。技術陣は副社長の藤澤武夫に直談判し、藤澤武夫が本田宗一郎を説得し、水冷エンジンを採用することになりました。

 技術陣の努力はついに実を結び、ホンダは1972年10月11日に世界に先駆けてマスキー法をクリアすることができる「CVCCエンジン」を発表しました。

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2007年10月 6日 (土)

宇宙戦艦ヤマト映開始

 時に西暦2199年、地球はガミラス星から遊星爆弾の攻撃を受け、人類は放射能汚染による滅亡の危機にさらされていた。

 そのような中、地球から遙か14万8千光年彼方にあるイスカンダル星から、放射能除去装置コスモクリーナーDを提供するので取りに来るようにという救いのメッセージが届けられる。

 人類に残された時間はわずか1年間、往復29万6千光年の旅を1年間で成し遂げるのは不可能である。しかし、イスカンダルからはメッセージと一緒にワープ航法が可能となる波動エンジンの設計図が届いていた。

 人類はその設計図をもとに、九州沖に沈んでいた旧日本海軍の戦艦大和を改造、戦艦大和は約250年の時を経て宇宙戦艦ヤマトとして生まれ変わる。

 沖田十三艦長が率いるヤマトはガミラス星人の攻撃を受けながら幾多の苦難を乗り越えて任務を遂行、西暦2200年、ついに人類はもとの青い地球を取り戻したのである。

 この壮大なSFアニメ、松本零士原作の宇宙戦艦ヤマトのテレビ放映が始まったのが1974年の今日でした。

 戦艦大和が宇宙に繰り出すという斬新なアイデア、ワープ航法・波動エンジンといったSF的な単語が子どもたちの心をつかみました。

 スターウォーズが公開されたのが1977年ですから当時としてはそれまでにはない本格的なSFアニメ番組だったのです。

 物理学的に考えれば間違った設定もたくさんありましたが、宇宙戦艦ヤマトを見てアインシュタインや相対性理論を知った子どもたちもたくさんいたでしょう。 

 子どもたちは毎週番組の最後に流れる「地球滅亡まであと○日」というカウントダウンを見てハラハラしながら、宇宙戦艦ヤマトの放映を楽しみにしていたのです。

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2007年9月11日 (火)

911

9月11日はアメリカ同時多発テロ事件が起きた日です(2001年)。

労働組合関係の仕事を終えて、知人の車で家まで送ってもらっている途中に、ラジオからWTCに航空機が激突したらしいというニュースが入ってきました。このニュースではどんな種類の航空機が激突したのかなど詳細は報告されませんでした。小型ジェットかプロペラ機が激突したのではないかと思っていました。家に着いてNHKのニュースを見てみると、いきなりもう一機の航空機がWTCに激突している映像が流れました。それが生放送だったのかどうかはもう覚えていませんが、これは事故ではないということがすぐにわかりました。

9月30日までUSENのGyaoでマイケル・ムーア監督の氏911を無料で見ることができます。ニュースでは知ることができないいろいろな事実を知ることができます。まだ見ていない人にはお勧めです(自分も最近見ました)。

911で多くの犠牲が出ました。未だに解決していないことがたくさんあります。現在、同監督のSiCKOが上映中ですが、この映画でも911が取り上げられています。

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