カテゴリー「文化・芸術」の9件の記事

2014年4月 4日 (金)

ダース・ベイダーの甲冑 暗黒卿武者人形

先日、吉徳の真田信繁(真田幸村)の甲冑 鎧床飾りが展示されていところに、また別の武将の甲冑が展示してありました。

で、よく見てみると戦国武将ではなく、なんとSTAR WARSのダース・ベイダーでした。

Vador1

左下にはこのように書かれています。

銀河帝国 暗黒卿武者人形

Vador2

本体価格は税抜きで13万円だそうです。

他にも展示されていたので、後日アップします。

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2013年9月22日 (日)

越中八尾おわら風の舞 in 八王子(2013/09/21)

八王子では、富山県越中八尾の民謡行事「おわら風の盆」の本場の踊りが「越中八尾おわら風の舞 in 八王子」として毎年行われます。今年は昨日9月21日に開催されました。今年で10回目となります。唄い手、踊り手、そして八王子芸妓衆がおわら節にのって、輪踊りや、町流しを行いました。

Photo

自分は初年度から見ているのですが、最初の頃は数あるイベントのひとつだったように思います。それが回数を重ねるごとに人気が高まり、規模も大きくなり、観客の数も増え、八王子を代表するイベントになりました。

最後は八王子花街を町流しするのですが、10年前は花街のご主人やお客さんが見ている程度でした。現在ではたくさんの人が集まります。昔は目の前で見れたのですが、今はこんな感じの人だかりです。

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こんな感じで町流しが始まります。

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花街の町流しでは、恵さんが胡弓を奏でていました。

 

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頑張って練習したそうです。

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夜は更けていきます・・・

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越中おわら節

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2013年9月 9日 (月)

カフェオレとカフェラテの違い

 コーヒーにミルクを加えた飲み物「ミルクコーヒー」。いつの頃かミルクコーヒーという名前は何だか大衆的なイメージとなり、店頭にもカフェオレやカフェラテと書かれたミルクコーヒーが並ぶことが増えてきました。

 カフェオレはフランス語。cafe au lait と書き、cafe(コーヒー)+au(の)+lait(ミルク)です。一方のカフェラテはイタリア語。cafe latteと書き、cafe(コーヒー)+latte(ミルク)です。

 言葉だけ見ると、どちらも同じミルクコーヒーですが、使われるコーヒーが異なります。カフェオレは濃いドリップ、カフェラテはエスプレッソです。つまり、カフェオレもカフェラテも苦みのあるミルクコーヒーで、カフェラテの方がカフェオレより苦いということになります。

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2013年9月 7日 (土)

ピカソの本名はもの凄く長い

スペイン生まれのフランスの世界的な画家パブロ・ピカソ。 ピカソは生涯に残した作品数が最も多い芸術家です。ギネスブックには、その生涯で、13500点の油絵とデッサン、10万点にも及ぶ版画、34000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作したと記録されています。

Pablo_picasso_1

また、ピカソは、キュビスムの創始者とされています。キュビスムとは、ひとつの視点から見たものを絵画として描写するのではなく、様々な視点から見たものを1つの絵画として描写する表現方法です。ピカソが最初に描いたのは、Les Demoiselles d'Avignon(アビニヨンの娘たち)という絵画です。

Les_demoiselles_davignon

さて、作品点数がやたらと多いピカソですが、ピカソは本名が非常に長いことでも有名です。彼の本名には諸説ありますが、通説では

パブロ・ディエーゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード  ルイス・イ・ピカソ

Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Crispin Cripriano de la Santísima Trinidad Ruiz y Picasso

と言われています。

ルイス・イ・ピカソは姓名であり、父親の第一姓ルイスを第1姓に、母親の第一姓ピカソを第二姓としてつなげたもので、スペインでは一般的な姓名の付け方です。

ピカソは最初のうちはパブロ・ルイス・ピカソと名乗っていましたが、後にパブロ・ピカソと名乗るようになりました。父親方の姓名ルイスを使うのをやめたのはスペインでごくありふれた姓名だったからのようです。一方、母親方の姓ピカソはめずらしい姓名のようです。

パブロ・ディエーゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダードちゃん!

日本の落語に出てくる

じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ くうねるところにすむところ やぶらこうじのぶらこうじ ぱいぽ ぱいぽ ぱいぽのしゅーりんがん しゅーりんがんのぐーりんだい ぐーりんだいのぽんぽこぴーの ぽんぽこなーの ちょうきゅうめいのちょうすけ

よりは短いですが、ピカソの方は現実の名前です。とてつもなく長い名前と言えるでしょう。

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2012年12月 5日 (水)

トイレにまつわる怪談-トイレの花子さん、赤いマント

 お化け、幽霊、妖怪、物の怪。科学技術が進んだ現代においては、幽霊や妖怪など居るわけがないというのが一般常識ですが、それらが登場する怪談は今もなお世に語り継がれています。

 トイレにまつわる怪談はたくさんありますが、それはトイレが特別な場所であったからにほかなりません。昔の人は、自分たちが現存する世界とは別に、神様や妖怪が住むあの世の世界があると信じていました。そして、この世とあの世をつなぐ結界があり、そこに神様や妖怪が出没すると考えていたのです。

結界には、神社や寺、納戸、軒、門戸、橋、峠、森林などがありますが、トイレも代表的な結界のひとつです。昔のトイレは屋外にあり、汲み取り式でした。屋外の暗闇の中で、トイレにぽっかりと空いた穴が地獄や魔界への入口に思えたのでしょう。また、暗闇の中で、無防備に下半身をさらけ出して、しゃがみこむことが恐怖心をさらにあおることになったことに違いありません。

 トイレにまつわる怪談をいくつか紹介しましょう。もっとも有名なのが「トイレの花子さん」です。花子さんは、おかっぱ頭で赤い服を着た女の子の姿をした妖怪です。花子さんを呼び出すには、夕方の四時や真夜中の一ニ時に、学校の三階のトイレの、右から三番目の個室を三回ノックし、「は~な~子さん、遊びましょう」と声をかけます。すると、中から「は~い」と返事が聞こえてきます。花子さんは、そのトイレを使った人に、とりついて殺してしまうのだそうですが、最近では、子供を助けることもあるようです。

 次に有名なのが「赤いマント」の妖怪です。特定のトイレの個室に入ると、「赤いマントがいいか、青いマントがいいか」と聞かれます。赤いマントを選ぶとナイフで刺されて真赤な血に染まって死に、青いマントを選ぶと全身の血を吸われて真青になって死ぬそうです。この赤いマント、昭和二十年代後半には「赤いチャンチャンコ」といって、チャンチャンコの色を聞いてきたというのが面白いところです。さらに昔は、「赤い紙と青い紙どっちがいい?」と聞いてきたようです。妖怪も人間の文明社会の進化にしっかりと追従しているようです。

 トイレの妖怪には色がつきものなのですが、どうやら京都に住んでいる「カイナデ」という妖怪がそのルーツのようです。カイナデは家のトイレに住んでいて、節分の夜に、トイレに入ってきた人のお尻をなでる妖怪です。トイレに入りたいときには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」と唱えると良いのだそうです。

 トイレに出るのは妖怪ばかりではありません。トイレには神様も住んでいます。トイレの神様で有名なのが「がんばり入道(加牟波理入道)」です。大晦日にトイレで「がんばり入道ホトトキス」と唱えると、一年間トイレに妖怪が出てこなくなるという頼もしい神様です。

 トイレに入ったら、耳を澄まして、あたりを見回してみましょう。突然、水が蛇口から滴り落ちたり、天上や床の角の暗がりに何かを感じたら、何かが潜んでいるのかもしれません。

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2012年10月21日 (日)

ゆるゆるのツタンカーメン展のお土産

上野の森美術館でツタンカーメン展が行われています。今回の展示では有名な黄金のマスクは来ていません。何でも過去の貸し出しで破損したため、黄金のマスクは国外には出さないことになったようです。

ところで、この展示のお土産コーナーが実にゆるゆるなのです。上記サイトの「グッズ/音声ガイド」のところから、「グッズ インターネット販売」を開くとお土産が出てきます。

これは、ピッピッファラオダックです。

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他にも、キューピットのスフィンクスとか、味噌・塩・醤油味のツタンカーメン麺とかがありました。

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2011年10月 9日 (日)

ミレトス学派のタレス 万物の根源は何か

 古代の人々にとって、身の回りのものが何からできているのか、この世界がどのようにできあがっているのかという疑問に対する答えは、世界中に神々による天地創造の神話がたくさんあることからわかるように、神々の存在だったでしょう。しかしながら、神々による天地創造のような説明は、地域や文化によって内容や解釈が変わるものであり、普遍的な真理ではありませんでした。

 紀元前6世紀頃、現在のトルコの南西部に存在したイオニアにミレトスという古代ギリシャの植民都市が栄えていました。当時、ミレトスは地中海交易の拠点都市であり、様々な国から多くの人が訪れ、異文化交流が自然のうちに進みました。異文化交流が進むと、これまで人々が信じていた世界観や価値観が崩れ、多様化し、混乱しました。古代ギリシャの人々にとっては、彼らがそれまで信じていたオリンポスの神話が崩れていくことになりました。そのような中で、普遍的な原理の追求が行われるようになり、ここでミレトス学派という哲学者たちの活動が始まりました。これが哲学の始まりとなりました。

 ミレトス学派の哲学者のタレスは、身の回りのものが何からできているのかを考えました。そして、タレスは万物の根源は水であり、私たちの身の回りに存在するすべてのものは水が姿を変えたものであると考えました。すべてのものは水から生まれ、そして滅ぶと水に返っていくと考えました。タレスが水を万物の根源を水と考えたのは、生命が水を必要としたからだと考えられています。

 タレスの弟子のアナクシマンドロスは、万物の根源のことをアルケーと名付けました。そして、彼はアルケーは水のような実体的な物質であるはずがないと考えました。実体として存在する水が何からできているのかを説明する必要があると考えたからです。彼はアルケーは無限なもの(ト・アペイロン)であると唱えました。ト・アペイロンは変化することなく、常に新しい物質を生みだし続けるものです。そのアナクシマンドロスの弟子のアナクシメネスはアルケーは空気(息)であると唱えました。

 タレスを始めとするミレトス派の哲学者が自然科学に与えた重要なことは「万物の根源は何か」という問いそのものを導き出したことに他なりません。彼らは、物質の成り立ちについて、誰にでも合理的に説明することが可能な原理は何かという視点で答えを求めたのです。

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2011年7月 5日 (火)

写真技術の先駆者 ジョセフ・ニセフォール・ニエプス没

世界で初めて写真を撮影したのはジョセフ・ニセフォール・ニエプス(Joseph Nicéphore Niépce、1765年3月7日 - 1833年7月5日)です。

ニエプスは1798年にアロイス・ゼネフェルダーが発明した化学反応によるリトグラフ(版画の一種の石版印刷)に興味を持っていましたが、ピンホールカメラでできる像を光による化学反応で何とか絵として残すことができないかを考えていました。

ニエプスは天然アスファルトに光を当てると、硬化して油に溶けなくなることに注目しました。彼はまず最初に版画を作ってみました。天然アスファルトの上に半透明の紙に描いた絵を起きました。天然アスファルトの絵の線がある部分は光が当たらないため固まらず、線のない部分は固まりました。この天然アスファルトを油で洗うと、絵が浮かび上がりました。

ニエプスはこの技術をヘリオグラフィと名づけました。彼はこれと同じ原理でピンホールの像を残すことができると考えました。そして、 1826年、彼は天然アスファルトを感光材に使って写真の撮影に成功しました。彼の方法では1枚の写真を撮影するのに8時間もかかりましたが、カメラ・オブスクラの像を写真として残すことに成功したのです。

ニエプスが撮影した景色の写真

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View from the Window at Le Gras, the first successful permanent photograph created by Nicéphore Niépce in 1826. Rebecca A. Moss,Director of Visual Resources and Digital Content Lab, via email. College of Liberal Arts Office of Information Technology University of Minnesota
http://www.arthist.umn.edu/vrcinfo/

この写真はニエプスが1826年に撮影したもので長らく世界最古の写真とされていましたが、後年、ニエプスが1825年に撮影した「Un cheval et son conducteur(馬を引く男)」という題名の写真が見つかっています。

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1829年 、ニエプスは同じフランスのルイ・ジャック・マンデ・ダゲールと研究を進め、銀メッキした銅板にヨウ素を反応させた感光板を使って写真を撮影する方法を考えました。

ところが、ニエプスは1833年7月5日に脳卒中で急死してしまいました。タゲールはニエプスとの研究を進め、1839年にダゲレオタイプという銀板写真を完成させました。

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2009年11月 3日 (火)

ギャルリー成瀬17

知り合いがJR横浜線の成瀬駅の近くでギャラリーを開いています。

成瀬駅前のりそな銀行のすぐ近くですから、便利なところです。

ギャルリー成瀬17

町田市の南成瀬のギャルリーです。絵画、立体、書や骨董などの展示・販売の場として利用することができます。

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