カテゴリー「飛行機」の30件の記事

2014年3月22日 (土)

消えたボーイング727 アンゴラのルアンダ空港

 マレーシア航空370便が行方不明になってから、既に2週間が経過しました。未だ有力な手がかりが見つかりませんが、飛行機はいったいどこへ行ってしまったのでしょうか。

 航空機の行方不明事件というと、南アフリカのアンゴラの首都ルアンダ国際空港から姿を消したボーイング727を思い出します。

 この機体は元々はアメリカン航空が所有していたものですが、航空機販売リース会社に売却されたのちに、1年ほどルアンダ空港に駐機されていました。2003年5月25日夜、この機体が突然動きだし、ルアンダ空港を離陸、そのまま姿を消しました。

 その後、米国中央情報局(CIA)などが、この機体の捜索をしましたが、未だに発見されていません。

 機体は盗難されたと考えられていますが、2001年9月11日に起きた米国同時多発テロの後だったこともあり、テロに利用されるのではないかと大騒ぎになりました。

 果たして、この機体は墜落してしまったのでしょうか、それともどこかに連れ去られたのでしょうか。この機体に乗っていたのは2人だけだったようです。リース会社の技術者とアシスタントの2人です。この2人は飛行機の操縦免許を持っていませんでした。もしかすると、リモートコントロールで離陸したのでしょうか・・・

 実は、この機体は実は安全上の理由から飛行を禁止されていたようです。かさんだ駐機料が支払えなくなった関係者が、飛行機を処分するため、実力行使で離陸したという説もあるようです。この説によると、ひそかに、どこかの飛行場に着陸、上空から見えない深い森の中などに隠し、分解してパーツを売却、残りはそのまま放置されているのではないかということです。

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2014年2月22日 (土)

スマホで撮影した飛行機雲の写真

空に飛行機雲ができていたので、スマホ(SONY Xperia Z UL SOL22)で撮影してみました。 あまりよく写らないだろうなと思っていましたが、そこそこしっかりした写真が撮れました

Photo

コンパクトデジタルカメラやデジタル一眼カメラで撮影した飛行機雲の写真、飛行機雲ができる仕組みの説明は「飛行機雲はどうしてできるの?」にまとめてあります。

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2014年1月 6日 (月)

ANAプレミアムクラスのPremium GOZEN

函館からの帰りの航空機はボーイング777-200でした。

B777200

帰りはANAプレミアムクラスに搭乗しました。12時台の出発便ですので、食事Premium GOZENが提供されます。昼食を機上で済ませてしまおうと思って乗ったのでした。株主優待券を使うとお得です。

今回のプレミアム御膳はこんな感じです。飲み物はスパークリングワインを頂きました。

Premiumgozen

御膳のお品書きです。

Premiumgozenmenu

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2014年1月 5日 (日)

雲平線の富士山

今日のフライトは曇っていて地上がほとんど見えませんでした。羽田空港へと降下を開始している頃に気が付いたのが、空の彼方に見える富士山でした。こちらの航行高度と富士山の高さを考えると、なるほどずいぶん遠くまで見えるのだなということがわかります。

地平線でもなく・・・水平線・・・でもなく、そう、雲平線の富士山でした。

Fujisan

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2013年11月13日 (水)

ANA BOEING 747-400 JA8961

先日、函館空港から羽田空港に戻ったときに、ANAのボーイングBOEING 747-400Dを見かけました。

Ja8961

JALのB747-400/400Dは既に全機が退役していますが、ANAのB747-400Dは2014年3月末までに全機が退役することになっています。この機体はそのうちの1機で、機体番号はJA8961でした。これは那覇行きのANA135便です。

Ja89612

JA8961は機体番号25643/972で、型式は481Dです。

この機体は1993年5月に導入されたもので、1996年冬季に「スヌーピー号」の塗装が施されました。スヌーピー号はANAが北海道スキーツァー25周年を記念する特別塗装機で、ANAの当時のキャラクターだったスヌーピーと仲間達がスケートボードやスキーを楽しんでいるイラストが描かれていました。

現在、ANAはB747-400の全機退役に向けて、「THANKS JUMBO!キャンペ-ン」を実施しています。ラストフライトは2014年3月31日は羽田/那覇線となるようです。

Ja89613

Ja89614

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2013年11月 2日 (土)

ANA ゆめジェット ~You & Me~

昨日、たまたま乗った飛行機がB-767で、ANA創立60周年記念特別塗装機「ゆめジェット ~You & Me~」でした。

ゆめジェットは、ANAが60周年記念事業のイベントとして実施した「機体デザインコンテスト」で大賞を受賞した作品をペイントしたものだそうです。

「ゆめジェット ~You & Me~」という名前には、「世界中の笑顔を繋ぐ翼として“私とあなた ~YOU & Me(ゆめ)~”が国境を越えてひとつになれる夢のような飛行機になる」という想いが込められています。

Ana

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2013年7月14日 (日)

エチオピア航空のB787の出火の原因はエアコン?

 英国ロンドンのヒースロー空港で7月12日に発生したエチオピア航空ボーイング787の火災事故ですが、やはりバッテリーが原因である可能性は低いようです。

 現在のところ、火災の原因は明らかにはなっていませんが、エチオピア航空の関係者の話によると、エアコンの不具合が原因と考えられるとのことです。

 原因がバッテリーではなくて一安心という見方もありますが、エアコンの不具合が火災の原因だとすると、また新たな問題を抱えることになりそうです。他の機体でも発生する可能性がるとすると、また運航停止などの対応になってしまいます。エアコンがどのような理由で出火の原因となったのか早急に調査する必要があります。

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2013年7月13日 (土)

B787 再び出火事故

 英国ロンドンのヒースロー空港で、現地時間7月12日、8時間ほど駐機していたエチオピア航空のボーイング787で火災が発生しました。幸い乗客は搭乗していませんでしたので、人的被害はありませんでした。この事故で滑走路が1時間半ほど閉鎖されました。

現在、英航空当局と米運輸安全委員会が出火の原因を究明していますが、BBC放送のニュース映像では、垂直尾翼の前方の機体上部に焼け焦げ跡が映っていたようです。

BBC NEWS UK Heathrow reopens after Boeing Dreamliner 787 fire

787

 バッテリーの発火で、機体の外側に焦げ跡が残るのかどうかわかりませんが、出火の原因が一連のバッテリー出火事故と関係があるのか注目されています。

 B787はバッテリーのトラブルで今年1月に運航停止となっていました。バッテリーの改善が施されたとして、4月下旬に運航停止が解除されました。今回の出火がバッテリーに関係したものであることが判明すると、787の安全性の問題が再燃することになります。

 利用者が不安を感じ、問題の焦点が、機体の安全性から安心性になってくると、かなり深刻な状況になると思われます。早期に原因を調査し、裏付けのある解決策を施すことが重要です。

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2013年4月29日 (月)

二宮忠八 日本で初めて模型のプロペラ飛行器が飛んだ日

 ライト兄弟が世界で初めて動力飛行機で有人飛行に成功したのは1903年のことでした。その14年前の1891年に日本でゴム動力付きの模型のプロペラ飛行機の飛行を成功させていた日本人がいます。彼の名前は二宮忠八。

Chuhachi

 二宮忠八は1866年に伊予国(愛媛県)で生まれました。裕福な家に生まれましたが、12歳のときに父親を亡くし、その後は困窮した生活を送りました。忠八は家計を助けるために働きながら、勉学に励んだそうです。凧揚げに興味をもち、独特な形をした「忠八凧」を考案しました。この自作の凧は評判となり、収入の助けになったようです。

 忠八は1887年、21歳のときに徴兵されて、軍に入隊します。1889年に行われた野戦訓練のとき、昼食をとっていたところ、翼をはばたくことなく空を滑空するカラスを見て、翼でうっまく風を受け止めることができれば、空を飛ぶことができるのではないかと考えました。つまり、このとき忠八は飛行機の原理を思いついたのです。

 それ以降、忠八はどのようにしたらうまく空を飛べるか研究を行い、ついにカラス型飛行器を完成させました。カラス型飛行器はゴム動力のプロペラ飛行機で、全長35 cm、翼長45 cmの模型飛行機です。そして、1891年4月29日、忠八の模型飛行器は10 mの飛行に成功しました。模型飛行機とはいえ、日本初のプロペラ飛行機を成功させた瞬間でした。

 その後、日清戦争に赴いていた忠八は、飛行器の有用性について、軍の上司に説明し、有人の飛行器の開発を上申しましたが、残念ながら却下されてしまいました。

 忠八は、軍は飛行機に興味がないと判断し、退役して自身で飛行器の研究を行うことにしましたが、十分に資金を集めることができませんでした。

 そうしている間の1903年、ついにライト兄弟が有人飛行機の飛行に成功します。このとき、ライト兄弟の飛行成功のニュースは日本に伝わらなかったため、忠八は飛行器の研究を続けていました。

 やがて、資金の目処がつくようになると、1908年頃に、飛行器の本格的な研究を再開します。動力としてガソリンエンジンを採用することにしました。しかし、当時のガソリンエンジンには、飛行機を飛ばすだけの十分な馬力を持つもはありませんでした。玉虫型飛行器と名付けた機体を完成させていた忠八は、自作のエンジンを開発に着手しようとしましたが、このときライト兄弟の飛行機のことを知り、飛行器の開発を断念し、その後はえ食塩メーカーのマルニを創業しました。

忠八は、晩年は飛行機事故で死亡した人々を慰霊し、航空の安全を願う、飛行神社を設立しています。

二宮忠八は有人の動力飛行機を完成させることはできませんでしたが、彼の理論は正しかったことが認められています。近年、忠八の功績が見直され、日本の航空機の父と呼ばれるようになっています。

ライト兄弟よりも先に飛ばした、二宮忠八。(飛行器)

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2013年3月31日 (日)

さようならマクドネル・ダグラス MD90

 T字翼、双発リアエンジンが特徴的なマクドネル・ダグラスの小型ジェット旅客機MD90が、30日夜の広島発羽田行きの便をラストフライトとし、日本の空から引退しました。

MD90は150人乗りの小型ジェット機で、地方の空港にも対応できるように格納式の階段を装備しています。日本では旧・日本エアシステムが1996年に導入しました。最盛期は16機ありましたが、最近は2機が羽田-広島間と熊本ー奄美間を飛んでいました。

写真は2011年1月2日に羽田空港で撮影したMD90です。

Md901

Md902

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